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NEWS ZERO

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October 25, 2005

源平絶えて、北条残る

今年は、NHKの大河ドラマは、義経である。
歴史で学んだ、うつろな記憶をたどると、次のように記憶している。

義経の活躍により、平氏は滅び、絶えた。
また、その源氏も、北条氏の暗躍により、三代で絶えた。

もう少し詳しい人になると、こんな異論があるかも知れない。

いや、各地に平家の落人部落があり、完全に絶えたわけではない。
源氏で絶えたのは、嫡流であって、傍流は残り、建前だけの将軍として祭り上げられていたはずだ。

で、結論を言えば、源氏、平氏共に、滅ぶとか絶えるとか言う性質のものではないのだ。
そして、絶えてはいない。

源氏とは、皇族が臣下に下る際に、付けられる姓である。
正しくは、源朝臣となる。
これは、根元、ルーツとか言う意味で、天皇の皇子、皇女などが下る際に付けれらる事が多い。
嵯峨天皇の皇子などを、嵯峨源氏、清和天皇の子孫に付けられたのを清和源氏などと称する。
なので、源氏を名乗る一族は数多く、絶えるとかは、まずあり得ない。

鎌倉幕府を開いた源頼朝は、この清和源氏の流れである。
この清和源氏は、数多い系統を生むが、その中の一つが、河内源氏で、この系統から源頼朝が生まれた。
この河内源氏は、武家の棟梁としての性格を持っていたため、「源氏の棟梁」と称していただけだ。
そもそも源氏の嫡流などは存在し得ないので、滅びようがない。

平氏もそう。
皇族が臣下に下る際につけられる姓、平朝臣を、平氏という。
源氏との違いは、天皇の孫以降の代に付けられることが多いので、源氏よりも格下と見なされている点だけだ。

この平氏も、多くの系統があり、その中の一つ、伊勢平氏の傍流から平清盛が生まれた。
この平清盛の一族を、「平家」といい、他の一族には、用いられない。
なので、義経が滅ぼしたのは、「平家」である。

ちなみに、現在、源、平を名乗る一族は存在しない。
それぞれ公家などとして、存続しており、それぞれにちなんだ姓を名乗っておられるようだ。

参考文献:あっちこっちのWeb(主にWikipedia)

October 24, 2005

構造改革概論 3.問題点の奥に

構造改革をすべきものは、官僚組織そのものであると言うことは、以前書いた。
ここで再度書いておきたいのは、公務員とは言っていないと言うことだ。
また、中央省庁に勤める国家公務員とも言っていない。

あくまでも、「官僚」と言っているのだ。

現在、税金の無駄遣いの最たるものは、特殊法人などだろう。
これらの組織は、設立当時は、それなりの意味があったものの、役目を終えた今でも、以前として存続している組織が多い。

何故無くならないか?
それは、天下りの受け入れ先だからだ。
また、これらの特殊法人は、関連民間会社へのパイプ役も務めていて、必要不可欠なのだ。

特殊法人に配分された資金は、一定の経費を除いて、ほとんどそのまま下請け会社へ抜けていく。
この下請け会社が、実は、官僚組織が作り上げた、税金の吸い上げマシンなのだ。

特殊法人は、会計報告の義務がある。
で、黒字だったり、予算が余ったりすると、割り当てを減らされるおそれがある。
なので、特殊法人は、常時赤字にしておき、下請け会社に儲けさせるのだ。
下請け会社は、体裁上、民間会社なので、法人税などを普通に収めていれば、何の問題もないのだ。

かくして、年中赤字、その実、天下りした元官僚達が、甘い汁吸い放題の楽園ができあがった。

道路公団の例を挙げてみよう。
高速道路などのメンテナンスは欠かせない。
しかも、一般道路と違い、危険が大きいので、清掃作業なども、専門の業者に委託している。

トンネル内に置いては、壁面、作業用通路、壁面に取り付けてある標識は、それぞれ、別の業者が、清掃を行っている。
「専門技術がいるから」だそうだ。

しかし、壁面を掃除する際に、その壁面に付いている標識については、何らかの防護措置を行うはずだ。
そのついでに、掃除することは、不可能なのだろうか?
あの標識って、そんなハイテクの集まりなのですか?

本当の理由は、そんな事じゃない。
実は、この専門技術を持った下請け業者って、全部、天下り官僚が作り上げた会社なのだ。

そういう会社が1つ増えれば、それに応じて、天下り先が増える。
そのために、増やせるだけ増やした結果、こんな訳の分からない発注になっているのだ。

これらのことは、民営化によって、解決したのだろうか?
いや、していないと思う。
解決していないからこそ、官僚が、民営化を了承したんだろうから。

きっと、名前を変えた同様の方式が、継続可能であることを確認してから、ゴーサインを出したに違いない。

もう一度書くが、これは、国家公務員の悪辣さではない。
あくまでも、「官僚」のやり口である。

天下り廃止が叫ばれているが、大多数の国家公務員にとっては、何の関係も無い事なのだ。
天下りできるのは、各省庁のトップ連中だけだ。
ほとんどの国家公務員は、恩給(共済年金)を貰って、それを頼りに老後を送っているはずだ。

中央省庁の一般役人達の必須アイテムは、ドリンク剤、カロリーメイト、カップ麺だそうだ。
これは、課長クラスでも、変わらない。

それだけ、連中は多忙な生活を送っている。
その上に、国家公務員の定数を削減されては、中央省庁の中は、死屍累々の屍の山が築かれることだろう。

民間会社の激務に比べれば、まだ甘いのかも知れないが、彼らは彼らなりに、身を削って、仕事をしているのだ。
.......ごく一部を除いては。

今回、郵政民営化の仕上げとして、政府系金融機関の統廃合が、議題に上っている。
これは、特殊法人への資金供給源を絶つと言う意味で、避けては通れない問題だ。
それ故、官僚の抵抗はすさまじいと思われるが、あえて断行して欲しい。

なぜなら、これらの改革は、身を削って仕事をしている、大多数の国家公務員にとっては、何の関係もない事だからだ。

これらの金融機関で働いている職員の雇用さえ維持してあげれば、全く問題など、発生しない。

ただ、甘い汁を吸ってきた連中が、困るだけだ。

October 22, 2005

信号機は青か?

信号機の色が、緑から青に変わったのを、知っている人は多いと思う。

当初は、緑と規定されていたものが、日本人の色彩表現感覚で、「あお」と表現したので、次第にそれが、「青」になってしまったため、誤解が生じやすくなり、信号機の色の方を、国民の実態に合わせた、と言う説明が、大体定番のようだ。

私が聞いていた俗説は、交通教室で、「信号があおの時に渡りましょう」という警察官の説明に、子供達が、「あれは、みどりだよ」と答えたのがきっかけで、法律の方が変わった、と言う説である。
その後、法規に、「緑色」と明記してあるので、「緑に見えなくもない青に近い青緑色」の色に変わってきたと言うことらしい。

で、その法的根拠を調べてみた。
見つけられなかった。

日本において、法令で、最初に信号機の色が明文化されたのは、次の通り。

道路交通取締令 昭和22/12/13・内務省令第40号

第3条 信号は、これに直面する交通に対し、左の意味を表示する。
(1) 青色は「進め」
(2) 赤色は「止れ」
(3) 黄色は「注意」
以下略

これ以前の明文規定は存在しない。

日本に置いて、今のような形式の信号機が設置されたのは、1930年(昭和5年)である。
アメリカから輸入されたらしい。
その後、国産信号機が生産されている。

この時に警察から、「トマレは赤、ススメは緑、チウイは黄色」と、示されているらしい。
http://www.johos.com/omoshiro/bucknum/20001208A.html

だが、これは、法的に何の根拠も無いらしい。

事実、その後、問題が起きている。
大阪でのゴーストップ事件 (1933年)である。
赤信号を無視した軍関係者と、警察の間の争いである。

法的に何の根拠もないのに、赤信号を無視したと検挙されても、「はい、そうですか」とは、軍の体面上、従ってはおれなかったのだろう。
軍の横暴があったことも事実の様であるが、ここでは無関係なので、割愛する。

信号機の元祖は、1868年に、イギリスで設置された。
これは、緑と赤の2色の信号機だった。

信号機の色は、最初から、緑だったのだ。
第2次大戦後、道路標識及び信号に関する議定書 (ジュネーヴ,1949)が作られ、各国が参加して、国際標準となった。
日本は参加していないが、「内容には問題なし」との見解を示している。

その中でも、緑と規定されている。

Article 53 第53条

(a) In a three-coloured system:
三色方式の場合:

Green indicates that vehicular traffic may pass the signal;
緑色 は、車両交通が信号機の位置を通り過ぎてもよいことを示す。

http://members.jcom.home.ne.jp/kinmokusei/convention/Geneva/signs.html

世界最初の信号機も緑、日本で最初の信号機も緑、で、当然のごとく、緑色の信号機が、日本でも広まっていったのだろう。

だが、「当たり前」であったが故に、法令では明文化されてこなかったものと、推測する。
合ったとしても、警察からの通達など、違反として科料に処す程の根拠は何もない代物だったのだ。

昭和22年までの信号無視は、何を根拠に罰せられていたのだろう?
少なくとも、都市部に置いては、それなりの数が合ったはずだからだ。

戦後になり、信号機の色を規定する際に、国民全てにコンセンサスを得ている「あお」から、一番想像しやすい「青」を、採用したもののようだ。

本来は、(おお)にすべきだったのかも知れない。
この色は、青緑色を意味するらしく、国民にも、世界的にも、どちらも、「まあ、いいか」と、許してもらえる範囲内だったと思える。

しかし、日本に置いて、規定されているのは、「青」なのだ。

なので、あえていう。

日本に置いて、信号機の色は、青、赤、黄色である。
これ以外の色が、法令で規定されたことは、一度もない。

信号機の色が、緑色から青色に切り替わったのが、昭和40年代後半であったことから、法令が変更されたのが、このころだと勘違いしている人が多いが、実際は、戦後すぐ規定されているのだ。

これは、今までの経緯から、緑色の信号機が生産されていて、全国に普及していることから、誰も公言しなかったものではないのか?

だとすると、青とも緑とも見える色の信号機はいいとして、誰が見ても緑にしか見えない信号機って、そもそも、法律違反だったんじゃないの?
それまでの経緯はあったとしても、昭和22年に明文化されたのに、昭和48年頃から置き換え開始とは、遅すぎると思う。

経済的にも落ち着いてきた昭和30年頃から、徐々に青緑に置き換えられてきたのならまだ良い。
現実はそうではない。
法律に規定されているにもかかわらず、緑色の信号機が、設置され続けてきたというのが現実である。

まあ、現実問題、それ故に交通事故が多発した、というわけではないので、実害はないのかも知れないが。

実は、この項は、トリビアというか、一息付ける雑学知識として、資料を集め出した。
ところが、結果として、信号機の設置に関する警察の曖昧さが、露呈してしまった。

交通教室における、子供達の素朴な反論に端を発した、ハートウォーミングな内容を想定していたのだが。

事実は、小説より奇なり、と言ったところか。

October 20, 2005

西郷隆盛は、偉人ではない?

別に、西郷南洲の悪口を言うつもりは、全くない。
しかし、ある意味では、事実なのである。

日本人の名前は、時代と共に変化してきた。
我々が今使っている構成は、明治以後のものである。

それ以前には、全く違った体系の名前制度が使われていた。
時代劇などで良く耳にするのが、

大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)

であろう。
これはこれで正しい。
しかし、時代小説などを扱う際には、注意が必要である。

生まれたときは、大岡求馬忠義であった。
なので、使用人からは、「求馬様」「四郎様」などと呼ばれていたはずである。

これが、「忠相様」などというセリフを書けば、噴飯もののギャグ小説になってしまう。
当時は、忠相ではないし、まして、目下の者が、諱を呼ぶことは、あり得ないのだから。

大岡は、家名、つまり、姓である。
越前守は、通称。上記の求馬もそうである。
当然、越前守に任ぜられる前は、こう呼ばれてはいなかった。
で、忠相が、諱(いみな)である。

この諱は、本名であり、本人と家族以外には、ほとんど知られていないし、教えもしなかった。
こういった風習は、東アジアによく見られる。

で、西郷南洲である。
正式に書くと、

西郷吉之助平隆永(さいごうきちのすけたいらのたかなが)

となる。
で、朝廷に奏上する際には、平朝臣隆永(たいらのあそんたかなが)となる。
しかし、諱の隆永は、諱であるが故に、あまり知られておらず、奏上の際に、誤って、南洲の父親の諱である隆盛が使われてしまい、それ以後、南洲は、仕方なく、諱を、隆盛に改めたようだ。

なので、幕末の混乱期、薩摩を率いて、明治維新へと導いたのは、なじみのある表記で書くと、西郷吉之助隆永となる。
(南洲は、通称を、吉之介、善兵衛、吉之助と改めたが、このころは、吉之助だったと推測しています)

従って、西郷隆盛は、本来は、西郷吉兵衛隆盛、つまり、南洲の父親のことを指すべきなのだ。

西郷南洲の父親って、偉人でした?
彼の長男の吉之助は、紛れもない偉人ですけど。

明治以後、従来の氏姓制度は廃止され、姓と諱だけになったので、その後は、西郷隆盛となったはずで、これ以後の南洲の名前としては、西郷隆盛と呼んでも差し支えないと思われる。

しかし、幕末偉人伝の中の南洲は、「西郷隆盛」ではないのです。
お間違えなく。

この名前については、まだあるので、項を改めて、また書きます。

October 14, 2005

構造改革概論 2.どこが問題か

一口で言うのなら、官僚組織が悪い、に集約する。
しかし、これを言ってしまっては、何も始まらない。

これをふまえた上で、考えてみよう。

1.政治家の能力の欠如

そもそも、法務の知識のない法務大臣などいらない。
外交をやったこともない外務大臣も邪魔なだけ。

これら素人が、肩書きほしさに、大臣の椅子を求めるから、官僚に舐められてしまうのだ。

ただ、専門知識が無くても、各官僚がサポートしたくなるような人物ならば、話は変わってくる。

漢の高祖、劉邦に対する部下の評価を肝に銘じて欲しい。
「劉あにいなんざ、俺らがいなければ、ただのでくのぼうでさぁ。」
こういわせる大臣が、何人いることだろう。

今の女性現職大臣が副大臣だったかになった際の、トップ官僚のコメントがある。
就任直前、あるトップ官僚が、部下に、「どう扱ったらいいか?」を聞かれて、こう答えた。

「ああ、あれか。あんなのは適当にあしらっとけばいいんだ。」

この人が、将来の首相候補?
冗談でしょう?
この時からすると、飛躍的に進化したのかな?

また、各議員に立法能力が欠如しているのも問題だ。
国会は、立法府である。
しかし、立法できる議員など、ほとんどいない。

2.所詮、他人事

どんなに国民が怒ろうと、官僚の立場は、何の心配もないくらい盤石である。
田中真紀子外務大臣が、官僚ともめた結果、大臣は首になり、その官僚は、飛ばされた。
大臣の方は、無所属で、今だ、日の目を見ないでいる。
しかし、その官僚は、飛ばされただけで、首になったわけではない。
しかも、罰として悲惨な地区に行かされたわけでもない。
もう少したら戻ってきて、肩で風を切るんじゃないの?

また、どんなに不満でも、我々は、税金を納めなければいけない。
NHKの不払いとは、次元が違うのだ。

払わないと、重加算税などをたっぷり付けられた上で、強制的に取られる羽目になる。

つまり、官僚は、何があっても、首にならないし、給料がもらえないことはあり得ないのだ。

これは、ある意味、必要なことである。

スポンサーの意向を聞いていては、公平な裁判は出来ない。
目先の利益を追っていては、国家100年の大計は、立てられない。
身分を保障された公務員だからこそ、目先の結果のでない案件に落ち着いて取り組めるのだ。
また、そもそも採算など見込めない事業も、遂行しうる。

しかし、今の官僚は、これを、悪用しているとしか思えない。

3.ちりも積もれば

各部署ごとの無駄遣いは、たかが知れているかも知れない。
しかし、寄り集まると、とんでもない額になる。

神戸の震災の際に、復興費用の総額が、発表されたことがある。
とんでもない額である。
義捐金などを募り、何とか復興を成し遂げた。

しかし、各省庁には、準備金というものがある。
不慮の事態に備え、蓄えているものだ。

この神戸の震災の際、各省庁が、とりあえず使う予定のないこのお金を全部はき出すと、復興費用全額になったそうだ。

つまり、義捐金など、1円もなくても、復興可能だったのだ。
しかし、実態は、ゼロ。

一切、出そうとしなかったそうだ。

なぜなら、震災は、神戸であって、霞ヶ関ではないからだ。
また、そういった前例もないので、出す必要など無いのだ。

これら、各部署ごとの、「見えない浪費」が、つもりつもって巨額の財政赤字を生んでいるというのが実態である。

なので、極端な赤字省庁などは、存在しない。
そうなるように、調整しているからだ。
これら、見えない無駄を、細かく見て、絞り出すしかない。

4.あちらを立てれば

これを言い出したらきりがない。

信号機の光る部分が、最近、ブツブツの点の集まりに変わりつつあるのをご存じだろうか?
あれは、ランプ式から、ダイオード式に変更されているからだ。

これは、実に優れた方式で、省エネ、耐久性、明るさなど、非の打ち所のない方式である。
しかし、ある種の視覚障害者にとっては、とても見にくくなってしまったようだ。

また、今話題になっている議員年金もそう。
ほとんどの受給者は、それまでにため込んだ資産で、左うちわなのに受給している人たちだ。
こんなもの貰わなくても、痛くもかゆくもないだろう。
しかし、中には、これが頼りな受給者もいるはずだ。

このように、一つのことを変えれば、必ず、マイナスの副作用も出てくる。

で、官僚連中は、変えようとすると、このマイナスの副作用ばかり列挙してきて、猛反対する。

「あなた方は、これらの人々を見殺しにするのか?」

と、大義名分をたてて、結局の所、自分たちの既得権益を守ろうとする。

しかし、考えてみて欲しい。
やるか、やらないか、ではないのだ。

やる以外に道はない。

これが、実態なのだ。
このままだと、近い将来、国の財政は破綻する。
国の財政が破綻すれば、一切合切が、駄目になってしまうのだ。

論理のすり替えをしてはいけない。

「やるかやらないか」ではなく、「どうやってやるか」を、考えているのだ。

ここで考えているのは、「日本をどう立て直すか」で、公の下僕であるあんた方の、「バラ色の未来」ではないのだから。

October 05, 2005

米国産牛肉輸入再開

どうも、年内か、それからさほど遠くない時期に、米国産の牛肉の輸入解禁となる模様だ。
それまで日本は、全頭検査を主張してきたが、米国の圧力に屈した形で、解禁となる。

確かに、安全な牛肉ならば、安いことは間違いないし、結構なことだ。

しかし、何故、日本が、あそこまで全頭検査を主張したのか、もう、忘れてしまったのか?

それは、100%安全性が確保されていない牛肉が入ってくれば、安全なはずの国産牛まで、まとめて、買い控えが起こりかねないからだと思う。

いつの時代も、「悪貨は良貨を駆逐する」のだ。

結局の所、米国の体制に、大きな変化はない。
政治的な力で押し切られただけのことだ。

つまり、米国産の牛肉には、100%の安全性は確保されてはいないのだ。

ここで、当事者達は、もっとも大きな問題を、忘れている。
それは、説得し、納得させる相手を間違えていると言うことだ。

それは、農水省のお役人ではない。
もちろん、小泉首相でもない。
また、国内の食肉業者でもない。

それは、母親達だ。
彼女たちが、自分の子供達に与える食事に関して、如何に厳格であるかと言うことに、全く気が付いていない。

様々な食品添加物のように、知らないうちに食べているものはいい。
しかし、BSEに関しては、ほとんどの母親が知り、恐れている事なのだ。

自分や旦那が食べる分については、さほど気にしないのかも知れない。
しかし、かわいい我が子に与える食事に関しては、99.9%の安全性は、0に等しいと言うことを、思い知らされることだろう。

統計学的にみて、0.1%の危険率は、ほとんど無視できるのかも知れない。
しかし、対象となる子供が、1,000万人いるとしたら、全国で、1万人の子供がBSEに感染する可能性があることになる。
100万人だとしても、1,000人だ。

このことを、無視できる母親が、何人いることだろう。

........おそらく、ゼロに近い。
いるとしたら、真夏の車内に、我が子を放置する類の母親失格者だけだ。

もう一度言う。
米国が説得するべき相手は、実際に、食材を買う母親達なのだ。
彼女たちに向かって、

「100%の安全性は確保していませんが、買いますか?」

と、聞いてみるが良い。
その際には、袋だたきにされるのを、覚悟して聞くように。

輸入解禁するのなら、勝手にすればいい。
しかし、全頭検査を実施しない限り、米国産牛肉は、私は買わない。
家内も、絶対に買わないことだろう。

自分で牛丼は食べるかも知れない。
しかし、家で食べる食事用には、絶対に買わない。

日本の母親の怖さを、舐めちゃいけませんぜ、旦那方。

今現在、牛肉を使った料理を提供しているコンビニチェーンの皆さん、今のうちに、こんなシールを発注しておきましょう。

「この製品には、米国産牛肉は、使われておりません」

私は、このシールが貼られていない牛肉弁当は、買いませんから。

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