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October 20, 2005

西郷隆盛は、偉人ではない?

別に、西郷南洲の悪口を言うつもりは、全くない。
しかし、ある意味では、事実なのである。

日本人の名前は、時代と共に変化してきた。
我々が今使っている構成は、明治以後のものである。

それ以前には、全く違った体系の名前制度が使われていた。
時代劇などで良く耳にするのが、

大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)

であろう。
これはこれで正しい。
しかし、時代小説などを扱う際には、注意が必要である。

生まれたときは、大岡求馬忠義であった。
なので、使用人からは、「求馬様」「四郎様」などと呼ばれていたはずである。

これが、「忠相様」などというセリフを書けば、噴飯もののギャグ小説になってしまう。
当時は、忠相ではないし、まして、目下の者が、諱を呼ぶことは、あり得ないのだから。

大岡は、家名、つまり、姓である。
越前守は、通称。上記の求馬もそうである。
当然、越前守に任ぜられる前は、こう呼ばれてはいなかった。
で、忠相が、諱(いみな)である。

この諱は、本名であり、本人と家族以外には、ほとんど知られていないし、教えもしなかった。
こういった風習は、東アジアによく見られる。

で、西郷南洲である。
正式に書くと、

西郷吉之助平隆永(さいごうきちのすけたいらのたかなが)

となる。
で、朝廷に奏上する際には、平朝臣隆永(たいらのあそんたかなが)となる。
しかし、諱の隆永は、諱であるが故に、あまり知られておらず、奏上の際に、誤って、南洲の父親の諱である隆盛が使われてしまい、それ以後、南洲は、仕方なく、諱を、隆盛に改めたようだ。

なので、幕末の混乱期、薩摩を率いて、明治維新へと導いたのは、なじみのある表記で書くと、西郷吉之助隆永となる。
(南洲は、通称を、吉之介、善兵衛、吉之助と改めたが、このころは、吉之助だったと推測しています)

従って、西郷隆盛は、本来は、西郷吉兵衛隆盛、つまり、南洲の父親のことを指すべきなのだ。

西郷南洲の父親って、偉人でした?
彼の長男の吉之助は、紛れもない偉人ですけど。

明治以後、従来の氏姓制度は廃止され、姓と諱だけになったので、その後は、西郷隆盛となったはずで、これ以後の南洲の名前としては、西郷隆盛と呼んでも差し支えないと思われる。

しかし、幕末偉人伝の中の南洲は、「西郷隆盛」ではないのです。
お間違えなく。

この名前については、まだあるので、項を改めて、また書きます。

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