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NEWS ZERO

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« May 2006 | Main | July 2006 »

June 29, 2006

靖国問題

再び、騒がしい季節が来ようとしている。
参拝を強行する小泉首相に対し、反発必至の、中国・韓国が、今か今かと、「心待ち」にしている。
それに対し、官邸筋は、「内政干渉」と、反発するというシナリオだ。

経緯に、簡単に触れておく。
詳しくは、Webに、いくらでもあるので、参照してもらいたい。

最大の問題は、A級戦犯が合祀されており、その神社を、公式参拝することが、太平洋戦争時の日本軍の行為を認めるものだとして、中国・韓国が反発していると言うことに尽きる。

合祀されたのは、1978年。意外に新しい。
合祀すべく、靖国にリストを送ったのは、実は、厚生省引揚援護局。
これを受けて、靖国側は、合祀したことになっている。

実は、裏がある。
厚生省引揚援護局は、実質、旧軍人がほとんどを占めるという部署だった。

当時は、異様な雰囲気だったようで、一般職員は近寄りもせず、その職務に口を挟む者も、皆無だったようだ。
そして、靖国に送ったリストも、厚生大臣の認可を得ず、局が勝手に送ったらしい。(逆説の日本史・週刊ポスト)

リストを送られた靖国側の宮司筑波藤麿氏は、宮司預かりとし、亡くなるまでの12年間、そのまま放置していた。

しかし、次に宮司となった松平永芳氏は、就任後、わずか4ヶ月で、昭和天皇の元へリストを持って行く。
徳川侍従次長が、憂慮したにもかかわらず、合祀に踏み切ってしまう。

何故か?

実は、松平氏は、旧軍人であり、合祀シンパだったようだ。
合祀推進派は、松平氏という、この上もない援軍を得て、かねてよりの悲願、「東条閣下の合祀」を達成したと言うのが、事実だったようだ。

この問題に対しては、小沢一郎民主党党首の持論が、正しいと思っている。

「もう1つは、戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則なのに、戦犯として処刑された者までも「戦争で倒れた」という解釈で合祇していることだ。」

これに尽きると思っている。
ちなみに、私は、小沢党首の支援者ではない。
一定の評価はしているが、崇拝はしていない。

私の考えでは、戦犯とは、生きて終戦を迎えて帰国し、その後、裁判で有罪となって、処罰された人たちを言う。
つまり、戦死してはいないのだ。

靖国側は、「公務死」であるとして、妥当性を主張している。
しかし、これは、強弁だろう。

裁判で有罪となり、刑を執行された人と、戦地で亡くなった人を、同列に扱うのは、いかがなものか。

確かに、東京裁判は、決して、公平な裁判ではなかっただろう。
ならば、この点について、国なり、国連なりに訴えていけばいい。

但し、あくまでも、戦争で亡くなったとするのではなく、不公平な裁判で有罪判決を受けた犯罪者の、名誉回復を目的とすべきだ。

彼らの名誉回復がなされたとしても、これを持って、合祀の根拠には、未来永劫すべきではない。

中国・韓国のクレームは、主に、政治的な意図のプロパガンダだろうし、内政干渉なのだろう。
しかし、矛盾点を抱え込んだ靖国を、時の総理が、公式参拝することに、妥当性があるとは思えない。

首相は、100%の私人には、成り得ないと思っている。
故に、首相は、公式・非公式を問わず、参拝を差し控えるべきだ。

矛盾を抱え込んだ靖国へは、周辺各国の波紋を覚悟してまで、参拝する価値はないと思う。

靖国側も、設立の経緯に、異論を挟む人はいないのだから、日本国民の多くの人たちが、心から戦没者を悼み、不戦の思いを新たにすることが出来るすっきりとした体制を作るべきだ。

つまり、靖国を、本来の姿に戻し、不公平裁判で不名誉を被った人たちがいるのならば、別件で、名誉回復を図る様にすべきである。

靖国問題は、ほとんどの国民にとって、実は、簡単な問題なのだ。
騒いでいるのは、遺族のうちのごく一部、そして、周辺のごく一部に過ぎない。

大多数の国民は、靖国の設立の経緯や存続に、異論など、持ち合わせていないのだから。

June 28, 2006

松井責任論は正しいか?

もちろん、ヤンキースの松井ではない。
民主党の松井議員の件だ。

村上ファンド関連会社から、秘書給与の肩代わりをしてもらっていた事が明らかになり、日銀の福井総裁がらみで、責任問題が起こっているのだ。

まあ、道義的には、辞任に追い込まれることだろう。

しかし、本当に国民が求めていることは、これではない。

まず、この件が違法であるかどうかを明らかにすること。
次に、同様な議員が皆無か?を、明らかにすることだ。

前者は良い。明らかだからだ。
法的に問題があれば、論外。
道義的に問題がある行為なら、党の規律に則って処分すればいい。
ルール通りに進んで欲しい。

私達が知りたいのは、「彼だけがそうしていたのか?」である。
もちろん、お金の出所は、村上ファンドに限らない。

彼だけがやっていて、しかも法律、あるいは規範に違反だったのなら、即刻除名。

しかし、他に、同様な議員がいれば、同様に処分すべきだ。
それが、党首や、総理であっても、だ。
例外は許されない。

ただ、あらゆる規範に照らしてみて、違反ではない場合はどうだろう。

この場合は、裁くべきではない。
どの時点まで、もらっていたのか、定かではないが、おそらく、ニュースでバッシングされる以前のことなのだろう。
ならば、この時点では、その他大勢の支援者の一人でしかなく、そこまで身の潔白を求めるのは、酷だろう。

で、個人的な感想である。

おいおい、また、トカゲのしっぽ切りかい。
どうせ、大なり小なり、似たようなことやってんだろう?
おっと、だーれも、お金をくれないだろう社民や共産は、やっていないかも。
まあ、「やりたくても、誰も支援してくれない」とも言うが。

ここで、新約聖書の一節をば。
姦通の罪で、石打の刑に処せられていた人妻をかばって曰く、

「この中で、ただの一度も罪を犯したことのない、浄いものだけが、石を持つが良い。」

果たして、いますか?そんな人。

June 26, 2006

バカの壁 -子育てに関して-

一番印象に残ったのが、「子供の個性を尊重する」と言うことに関する記述である。
個性、個性と言うが、その実態を、全く理解していないと言うことに、気づかされた。
まだ読んでいない人は、一読をお薦めする。

さて、私の趣味というか、やっているもので、「守、破、離」という考え方がある。
簡単に説明しておく。

とは、師をまねて、師の格に至る事を言う。
書道で言えば、楷書に当たる。
この段階では、ひたすら師の格をまねる。
自分勝手な改変などは、一切許されない。

とは、師の格に至った者が、その格を自分の個性に合わせて改変することを許される段階を言う。
書道で言えば、行書に当たる。
改変が許されるとは言っても、基本となる師の格から、外れてはいけない。

とは、師の格を出でて、自由な創造が許される段階。
書道では、草書に当たる。
一見、元の格とは、全く似ても似つかない様に見えて、一番大事な基本原則は、外していない。
反対に、自由に想像しながら、自ずと、原則からは逸脱していない段階。

これは、上記の「バカの壁」の個性の項と、似たようなことを言っているのではないだろうか。

つまり、中学生くらいまでの子供は、の段階である。
個性など二の次。
ひたすら、正しいと思えるやり方を、まねていく段階である。
この段階では、師である、親、祖父母、教師などの指導に従い、ただひたすら、教えられたとおりに、学んでいく必要がある。

「草むしりをやれ」「お風呂掃除をやれ」と言われたら、とにかく行う。
明らかに、公序良俗に反すること、たとえば、「人の物を盗ってこい」、などは、従う必要はない。
ただ、子供の理解を超える事柄は、素直に従うべきである。
故に、この段階では、個性など、発揮しようがない。

高校、大学、あるいは、社会人として働きだした段階で、守の段階に到達していれば、ある程度の自由が許される。
破の段階に至っていれば、ある程度自由を与えても、守で仕込まれた原則からは、逸脱することはない。

この考え方を、「封建的」「保守的」と、言うだろうか?

しかし、自由を言い訳に、ただ、子供を放置し、ペーパーテストの結果だけを尊重したあげくが、今の青少年の荒廃なのではないだろうか。

つまり、

子供達に、実は、何も教えてこなかった。
何も教えられていないが故に、社会のルールなどを無視した行動に出る。

と言うことなのではないだろうか。

だとすれば、今の若者は、社会や、親たちの見当違いの犠牲者に他ならない。

なお、守の段階で、師の言うとおりにさせる以上、師の方も、それなりのレベルを要求される。

あなたは、子供の師としての自信がありますか?

なお、「守、破、離」に関しては、門外不出には当たらないと判断した。
あっちこっちのWebに書いてあるからである。

June 24, 2006

FIFA2006予想結果

グループA
1.ドイツ
2.エクアドル

→はずれ(2位がポーランドと予想)

グループB
1.イングランド
2.スウェーデン

→的中

グループC
1.アルゼンチン
2.オランダ

→おしい(1位2位が反対)

グループD
1.ポルトガル
2.メキシコ

→おしい(1位2位が反対)

グループE
1.イタリア
2.ガーナ

→はずれ(2位がチェコと予想)

グループF
1.ブラジル
2.オーストラリア

→はずれ(2位が日本とご祝儀予想)

グループG
1.スイス
2.フランス

→はずれ(フランス、韓国の順で予想)

グループH
1.スペイン
2.ウクライナ

→はずれ(2位がサウジと予想)

さて総合評価は........

的中 1勝
決勝メンバー的中 2勝(的中を入れると3勝)

1位正解 5勝

8グループ中、決勝メンバー的中が、3つなのだから、まあまあと言うところか。
1位正解の5勝は、誰でも当てられる程度なので、特筆することはない。

さて、決勝トーナメントのメンバーが出揃ったところで、再度、予想してみよう。

準決勝

◎ドイツ X イタリア

イングランド X ◎ブラジル

共に、好カード。
仕方なく、ドイツ、ブラジルの勝ちにしたが、どっちが勝ってもおかしくないカード。

案外、スコアレスドローで、PK戦で決まる試合もあるかも。

決勝

ドイツ X ◎ブラジル

何となく、ドイツが上がってきたが、果たして、ここまで来れるのか?→ドイツ

優勝

ブラジル

結局、優勝は、変わらなかった。

書かれていない好カードも、ドイツ vs アルゼンチンくらいで、順当な国が、順当に勝ち上がると思われる。

June 23, 2006

FIFAが本格的に始まる

華々しいオープニングセレモニーも終わり、ようやく、ワールドカップが、本格的に始まるようだ。

オープニング?いつの話って?
ああ、「予選リーグ」って言えば、分かりますか?

気持ちは分かりますが、日本のマスコミの盛り上げ方は、異常でした。
この「異常事態」も、ようやく終わります。

F1で言えば、今年は、落日の皇帝と、最年少王者の一騎打ちでしょう。
間違っても、スーパーアグリ+が、優勝候補だとは、思っていないはずです。

これは、仕方がないことです。
準備不足なまま、成り行きで参戦になったんですから。
肝心の車が遅いのに、勝てるはずはありません。

ワールドカップの日本代表だって、本来は、スーパーアグリ+と、同じなんですよ。
優勝争いなんて、現状では、単なる笑い話でしょう。

無意味な扇動にも似た、限度を超えた盛り上げに、一番苦慮していたのは、実は、選手かも知れません。

彼らというか、日本代表は、着実に、レベルアップしています。
地区予選敗退が、当たり前だった頃に比べ、格段に強くなっています。

岡田監督が、守備を徹底的にたたき込み、トルシエ監督が、組織としてのサッカーを伝授しました。
そして、今回、ジーコ監督が、個人技としてのサッカーを教えました。

どれも、欠かせない要素です。
そういう意味では、ワールドカップを戦う上で、欠かせない要素を、超一流の監督から叩き込まれ、成長してきたわけです。

次の要素は何か?

次の要素は、無いと思います。
だって、これで全部でしょ?

次は、それぞれのレベルアップでしょう。
これから行われる決勝トーナメントを見れば、一目瞭然です。

あのチームのどれか一つでもいいが、日本の選手が、割り込めるチームがありますか?
少なくとも、ベスト4以降は、一つもないことでしょう。

批判を怖れずに、はっきりと言いましょう。

・彼らは、全力を尽くしたこと
・日本のレベルでは、到底、勝ち抜けないこと

これから、彼ら、あるいは、彼らに続く者が、しなければいけないことは、全ての要素のレベルアップだと思います。

そういう意味では、個人技が一番良いかも。
だって、個人技は、個人故に、一人で出来るでしょ?

だとすると、ジーコのような、個人技を優先するような監督の方が、適任かも知れない。

まあ、ジーコが、愛想を尽かしていなければ、であるが。

そうそう、日本のレベルを上げる意味で、一番良いのは、Jリーグのレベルアップです。
ワールドカップのレベルと、Jリーグのレベルでは、天と地の差がある。
故に、世界レベルの技量を持たなくても、そこそこ活躍できてしまうのが、今のJリーグなんです。

これではいけません。

世界に出ることは良いことです。
しかし、そこで得た技術を持って、Jリーグのレベルアップに寄与しなければ、いつまで経っても、予選リーグの常連さんで終わります。

Jリーグのレベルを、ワールドカップの決勝トーナメントレベルにしていかないと、あのカップは、絶対に、日本に来ませんよ。

June 22, 2006

米牛肉輸入7月解禁

http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4700/news/20060621it04.htm

よくもまあ。性懲りもなく。
まあ、アメリカの圧力に押されたんでしょう。

早々に対応を決めたのは、吉野家くらいで、後は、様子見か、しばらく使わない決定をした模様。

以前、このブログでも、一番説得すべきは、日本の母親達であると書いた。
なので、この点についての、重複は避ける。
母親達の感覚は、全く変わっていないのだから。

今回の輸入中止のきっかけになった工場では、脊髄が危険部位であること、それを排除する必要があることなど、作業者は、全く聞かされていなかったらしい。

また、食肉業者のほとんどは、日本が、過度に神経質になり、いちゃもんを付けているという感覚であるとも聞く。

この感覚が、劇的に変化したのか?

アメリカという国は、アメリカこそが正義であり、正道だ、と勘違いしている。
様々な国があり、様々な考え方を持っているという事を、一切、理解しようとしない。
アメリカの感覚に合わないものは、蛮風であり、幼稚な思考形態と、ばっさりと切り捨てる。

その感覚が、この半年で、劇的に変化したとは思えない。

おそらく、日本国内の食肉業者の、身をすり減らすような安全性への配慮など、アメリカにとっては、想定外のそのまた外だろう。

たしかに、日本の母親達の感覚は、やや行き過ぎなのかも知れない。
しかし、お金を払うのは、彼女たちである。
それ故、日本は、科学的妥当性を欠くのを重々承知で、全頭検査というとんでもないシステムを強制した。

その甲斐あって、ようやく、BSE感染報告のないOGビーフ、全頭検査の国産牛肉に関しては、消費が戻りつつある。

彼らの苦労を、一気に水泡に帰すような事を、あえて、やろうとしている。

上に、「重複は避ける」と書いたが、ここだけは、何度でも書かないといけない。

0.1%の確率で、BSEに感染するとして、子供達が1000万人いるとする。
つまり、1万人の子供達が、BSEに感染する可能性がある。

実際には、感染部位の混ざった牛肉を食べた場合であるので、その人数は、もっと少なくなるだろう。

しかし、それが、100人でも、同じ事だ。

「自分の子供は、絶対に、その100人に入らない自信がある。」
と、豪語できる人だけが、アメリカの牛肉を食べればいい。

少なくとも私は、全頭検査をしていないアメリカ牛肉は、一切、うちの子供には食べさせません。
これは、親としての、私の決定事項である。

もちろん、それぞれの親たちが、それぞれに決定すればいい。
しかし、出来るだけ多くの母親達が、賛同してくれる事を祈るばかりである。

私達の子供達を、BSEの危険から守れるのは、もう、国ではありません。
親だけになってしまったのですから。

そうそう、最後に書いておくが、安全なアメリカ牛肉なら、大歓迎である。
どんどん輸入して欲しい。
そんな牛肉は、今のアメリカには、存在しませんけど。

June 19, 2006

組織内での上下関係

子曰、巧言令色、鮮矣仁
しいわく、こうげんれいしょく、すくなしじん

→巧みな言葉と人にへつらう笑顔には、本当の思いやりは無い。

學而第一

ビジネスで言えば、

おべっか使いは、信用するに足りない。

と言うことになるだろうか。
ビジネストーク、営業スマイルなど、仕事には欠かせないものであるし、同じ職場の人間関係に置いては、ある程度、欠かせないものであろう。

しかし、巧言令色と、節度をわきまえた態度とは、全く異なるものだろう。

では、節度とは何か。

定公問、君使臣、臣事君、如之何、孔子對曰、君使臣以禮、臣事君以忠

ていこうとふ、きみ、しんをつかひ、しん、きみにつかふるには、これをいかんせん、こうし、こたへていはく、きみはしんをつかふにれいをもってし、しんはきみにつかふるにちゅうをもってす。

→定公が聞いた、「君主が、臣下を使う際、あるいは、臣下が君主に仕えるには、どうしたらいいでしょうか」と。
孔子が答えて曰く、主君は臣を使うのに礼の徳をもって丁寧にし、臣は主君に仕えるのにまごころをもってする。

八イツ(佾)第三

もちろん、理想論であるし、現実に、これをなし得る人は、数少ないことであろう。
しかし、だからといって、これが無意味なのではない。
難しいからと言って、不可能なのとは、意味が違う。

これを、組織の中での理想型とし、たとえ一歩でも、近づくように心がけなければいけない。

たとえ蟻の一歩でも、それに向けて足を踏み出した人と、最初から諦めてしまった人は、決して、イコールにはならない。
また、部下の方が、一方的に試みるのと、上司・部下揃って試みるのとでは、やりやすさも、全く違ってくる。

まず、「これが理想なんだ」と、しっかりと意識することが、最初の一歩である。
これくらいなら、どの組織でも、可能だろう。

June 14, 2006

福井日銀総裁が村上ファンドに出資

1000万円を出資していたらしい。
これに関し、法的には、問題ないらしい。

この前、論語と算盤について書いた。
算盤、つまり、金銭や経理に関しては、ありとあらゆる知識が蔓延しているので、特に、ここで書く必要はあるまい。

なので、残る論語という面から、書いておきたい。

子曰、富與貴、是人之所欲也、富以其道、得之不處也
しいわく、ふと きとは これ ひとの ほっする ところ なり。その みちを もって せずして これを うれば おらざるなり

富貴は誰もが欲しいと思うものだが、これ(富貴)を得るための善い行いをせずしてこれを得るなら、その富貴を捨てるべきである。

君子無終食之間違仁
くんしはしゅうしょくのかんもじんにたがふことなし

君子は、ご飯を食べ終わるまでの短い間も、仁に背いた振る舞いをしない。

里仁第四-5

日銀総裁と言えば、日本の金融の総元締めである。
総裁が、道を違えたり、私利私欲の道を歩めば、日本の経済は、迷子になってしまう。

それ故、日銀総裁は、銀行頭取の比ではない、自省を求められる。

今回の事件は、個人的な投資先が、たまたま、犯罪を犯したファンドマネージャー運営のファンドだったと言うだけの話だ。
この点に関しては、総裁には、なんの非もないし、責めるべきではない。

しかし、現在も出資したままだと言う点については、どうだろう。
これだけ騒がれたあげくに、マネージャーが逮捕されたファンドへの出資を、日銀総裁という立場にありながら、そのままにしておいた点については、非難されてしかるべきだろう。

一連の出来事を知らなかったのなら、もってのほか。
自分の出資を引き上げると、村上ファンドが立ちゆかなくなると考えていたのなら、見当違いも甚だしい。
逮捕される可能性を知らなかったのなら、日銀総裁の資格はない。

どれをとっても、非難されてしかるべきだ。

全てのトップが、瞬時も仁に違(たが)わないように、留意する必要はないだろう。
しかし、仮にも日銀総裁である。

出来ないにしても、それに近づくべく、努力すべきだったろう。

ゼロ金利解除が近い今、辞めるべきではないと思うが、猛省を促したい。

June 09, 2006

晴れ乞いは可能か?

雨乞いは、よく知られている。
干ばつの時に、行われたあの行事である。

「晴れ乞い」は、その反対である。
ちなみに、私の造語だ。

気象の世界では、特異日というものがある。

特異日(とくいび)とは、気象学的な理由は不明だが統計的に毎年その日には特定のある天候が訪れることの多い日のこと。
特異日

.......だそうだ。

FMラジオのお天気コーナーで言っていたところによると、10月10日などがそうらしい。
なんでも、この時期は、秋雨前線の活動が活発な時期に当たり、雨が多い時期らしい。
10月9日、11日などは、統計的に、その通りの降水確率らしい。

でも、この10日だけは、飛び抜けて晴天率が高いそうだ。
それ故、東京オリンピックの開会式とされたという噂もある。
(体育の日とされたのは、昭和41年だそうだ)

なんでも、その日は、予想を、晴れの方向にワンランクずらし、言葉は悪いが、嘘を付くらしい。
たとえば、気象図などからの予報が、曇りのち雨だとすると、晴れのち曇り所により雨、などと、嘘を言う。
すると、嘘の方が当たるらしい。

何故こうなるのか、は、解明されていない。

しかし、一般庶民にとっては、自明の理である。

だって、運動会だもん。
全国各地で、子供達が、てるてる坊主を掛け、一心に、晴れを願ってきたのだ。
雨雲だって、遠慮するでしょう。
この仮説が正しいとすると、体育の日が流動的になった今は、この日は、特異日ではなくなるはずだ。

他にも、11月3日とか、お出かけにうってつけの日が、特異日になっているらしい。
きっと、同様な理由だろう。

気象学の厳密な推論など、どっかに放り上げておき、一般庶民の感覚を大事にしてみよう。

これからすると、少なくとも、「晴れ乞い」は、可能らしい。
すると、古来より行われてきた雨乞いも、あながち、迷信とは言えないのか?

何はともあれ、本州も、梅雨入りらしい。
うっとおしい雨空が続く折りには、地域で力を合わせて、晴れ乞いなんていかが?

但し、日本の降水量のかなりの部分を、梅雨が占めているので、晴れ乞いが効き過ぎて、水不足になっても、責任もてませんので、あしからず。

June 07, 2006

村上氏は何が悪かったか

逮捕直前の記者会見で、
「僕が嫌われたのは、ものすごく儲けたからだ。」
と言ったことに対し、麻生大臣が、
「儲けたことではなく、儲け方が悪かったからだ。」

と、コメントしていた。
この麻生大臣のコメントに、賛成である。

直接の容疑となった、ライブドアにニッポン放送株買収を促した件ばかりでなく、一連の取引を見ていると、世間で言う「ハゲタカファンド」と言われても仕方ないやり方をしているようだ。

しかし、これ、欧米、特にアメリカなどでは、特に、問題視されていない。
強いて言えば、法令に違反したことに対する批判があるくらいだろう。

アメリカのビジネスのやり方は、法令に違反せずにありとあらゆる手段を用いて利益を上げることに尽きる。

そのビジネスモデルが、どこから来たのか、ここでは書かないが、村上ファンドのやり方は、アメリカでは、さしたる事もないはずだ。

むしろ、アメリカでは、「ようやく、日本も、『グローバル・スタンダード』な株取引の仕方を身につけたか」くらいに、歓迎していたのではないだろうか。

しかし、これは、あくまでも、アメリカが「正しい」と考えているやり方で、真の意味でのグローバル・スタンダードではないし、全世界で通用する考えでもない。

実は、この点に関し、日本経済の指針になるべき金言が、既に存在する。
歴史上の人物、渋沢栄一翁の言葉である。

「右手に論語、左手にそろばん」
「正しい道理を踏んで得たる富貴ならばあえて差し支えない」

コンプライアンス

この考え方は、流行りの「コンプライアンス」以上の意味を言っていると思う。

法令に準拠するのは当たり前。
その上で、道徳にも反してはいけない。

こういう考え方だと思う。

この考え方は、江戸時代に、掛け値なしの正札商売が成立し、商取引の大前提に、双方の信頼関係というものを置いていた、日本ならではの考え方のようだ。

海外では、商人というのは、怪しげな人種なのであり、信頼などする方がバカだ、と言う考え方だったようだ。

「逆説の日本史」週刊ポスト連載

韓国のように、儒教べったりでは、世界に受け入れられないと思う。
しかし、日本のように、適度にいい加減な思想ならば、世界各国も受け入れやすいのではないだろうか。

グローバル・スタンダードという名の、アメリカ基準に合わせることも必要だが、たまには、ジャパン・スタンダードを、世界に向けて啓蒙しても良いのではないだろうか。

June 05, 2006

オオキンケイギク満開

Photo_1
近くのJRの線路沿いで、オオキンケイギクが、満開である。
写真は、自生しているオオキンケイギクである。

オオキンケイギクは北アメリカ原産の帰化植物であり、キク科 ハルシャギク属に分類される。
大金鶏菊と書くらしい。

とても強い種であり、美しい花を一斉に咲かせることから、道路や線路沿いの美化目的で、植えられていたらしい。

ところが、あまりの繁殖力の強さ故に、日本の固有種を駆逐してしまい、生態系に害を及ぼす恐れがあると言うことで、有害種に指定されてしまった。

外来生物法


それによると、平成18年2月1日より、第2次指定特定外来生物に指定されたらしい。
なので、この花を植えたり、種をまいたりすると、罰せられる恐れがあるようだ。

とても綺麗な花なので、うっかり、植えてしまわないように、ご注意を。

なお、このJR沿線の花の始末であるが、もともと、雑草がはびこると、列車の運行に支障が出るためか、毎年、草刈りや、除草剤の散布などを行っている。
年0-2回と言ったところだ。

ただ、夏の盛りに行われることが多く、この花の駆除という目的ではないようだ。

撮影日時:2006/06/05 11:40(要するに、さっきですな)
撮影場所:岐阜県 太多線沿線

June 03, 2006

今後の教育のあり方

先日、「国家の品格」のレビューを書いた。
そこにも書いたように、以前から、似たような考えを持っていた。
全く別の出発点なので、とうぜん、相違点は多々ある。
ただ、良い機会なので、書いてみる。
当然、「国家の品格」の内容とは、一致していないし、この本から明示的に参照する部分もない。

まあ、触発された、と言ったところだ。

以前、大学の先生だかが、

「西洋の文学を、真に理解しようとしたら、新旧約聖書を読んでおく必要がある。
そうしないと、それらを真に理解したことにならない。
で、日本は、といえば、強いて言えば、論語がこれに該当するであろうか。」

と言うような一文を書いていた。
大学の講義で貰ったプリントに書かれていたので、出典は、一切不明である。

「国家の品格」でも、近いことが触れられていたはずだ。

つまり、まず、聖書というものがあり、それが、彼らの精神的な基礎になっていると言うことだ。

人とは何か。
人はどう生きればいいのか。
悪いこと、つまり、聖書の教えに反することをしたらどうなるのか。

などなど、人として生きていくための基礎的な部分は、全て聖書から得ていると言っても過言ではない。
全ての思想は、その上に、乗っかって成立しているのだ。

で、これらのほとんどは、教会などから、伝えられる。

学校教育、社会制度などは、この基礎の上に成り立っている。
言い換えれば、これらの教育の場では、その基礎については、不要なのである。
故に、社会構造、政治体制、学校教育システムの中には、この基礎部分は、含まれていない。

つまり、非常識とは、これらのキリスト教の教義に対する反対意見なのだ。

日本に置いては、戦後、アメリカ主導の民主化が、強力に推し進められた。

アメリカという国は、「アメリカのやり方こそ正しい」と、信じて疑わない国なので、民主化に際しては、当然、「最も優れている」アメリカの制度が導入された。

ここで、彼らは、勘違いを犯した。
当時のアメリカと言う国は、キリスト教社会であり、当然、キリスト教という基礎の上に、様々な制度が成り立っていた。

日本に導入する際に、基礎部分を見過ごし、その上に成り立つ制度だけを、日本に押しつけていった。
その結果、基礎となる、人間教育という部分が、ごそっと抜け落ちてしまった。

私は、キリスト教を信仰する気は、さらさら無い。
しかし、アメリカが、キリスト教をも押しつけていったのなら、それはそれで、統一のとれた制度になったはずだ。

長い年月を掛けて、人が作り上げてきたものは、それはそれで、統一がとれていることが多いからだ。

しかし、忘れていたのか、好意的だったのか知らないが、基礎的な部分は、一切、手を触れなかった。

ただ、政教分離の原則だけを残し、母国へ帰っていったのだ。

戦前の日本は、いまだ、封建社会、武家社会の雰囲気を色濃く残していた社会であり、人々の精神的な規範もまた、古来のものであった。

神道、仏教などが、渾然一体となり、儒教思想まで混ざり合い、雑多な思想を持っていた。

そして、その教育期間は、多年に渡る。
就学前、就学中、就業中も、ずっと続けられてきた。

戦後、敗戦ショックと、アメリカの押しつけにより、戦前イコール悪という考えが広まり、それら全てを捨て去ってしまった。

そして残されたのは、基礎となる精神教育制度が、ごそっと抜け落ちたシステムだけだった。

近年、青少年の精神的な荒廃が、著しい。
「人間とはどうあるべきか」という教育が、全くされていないのだから、当然の話だ。

現状の社会システムのまま、この問題に、真に取り組むのなら、欧米のキリスト教に変わる精神教育のシステムを取り入れる必要がある。

効果が出るのは、50年、100年先だろうが、それでも、今から取り組んでおかないといけない問題だ。

さて、何にします。

仏教?
それも良いでしょう。ですが、神道など、他の宗旨の人は承知しませんよ。
仏教にしたって、いろいろな宗派があるし、第一、彼らは、葬祭兼法事業者なので、今時、精神教育を任せられる人材は、ほとんど存在しないと思います。

日本人が、正しいというか、望ましいと考える人物像は、今なお、論語の影響が、きわめて強いらしい。

しかし、いまさら、「子曰く、...........」とやったところで、

「マジ、うざくねぇ?」

と、やられるのがオチである。

政教分離の原則を犯さず、日本人のほとんどが素直に受け入れられる精神教育制度を、早急に打ち立てる必要がある。

問題は、そんな途方もない制度が、かけらも思い浮かばないことなのだ。

June 02, 2006

年金不正免除問題

各地の社会保険事務所が、不正に、国民年金の納付を免除したり、猶予したりしていた問題。
俗に言う、「分母減らし」らしい。

納付率は、納付者/納付対象者なので、分母に当たる納付対象者を減らせば、納付者を増やさなくても、納付率を上げられる計算になる。

確かに、悪質だ。
自分たちは、何の努力もせず、報告する数字だけうまく処理して、風当たりを減らそうとしている。
最終的に目指すのは、定員削減などの改革の回避なのだろう。

要するに、保身だ。

なので、マスコミ各社も、うやむやにさせないために、徹底的に叩きまくって欲しい。

さて、一般大衆サイドのことだ。
社会保険庁の改革という視点からしたら、確かに、ゆゆしき問題で、看過できない。

しかし、納付者という立場から見たら、どうだろう?

「それって、悪いこと?親切なんじゃない?」
と言う印象を持つ人もいることだろう。

知識がないか、無関心故に、納付せずに歳を取り、年金頼りになってから、未納だから支給されません、とあしらわれ、途方に暮れるよりも、勝手に免除にされた方が、マシかも知れない。

もちろん、支給額が減額されるわけで、普通に納付した方が良い。
しかし、経済的な困窮から、納付できない場合は、実に親切でありがたいやり方だったのではないだろうか。

納付できる経済力があるのに、知識がないばっかりに、納付しないでいた人が、勝手に免除にされては、結局、その人が困るわけで、これは、いけない。

しかし、報道を見る限り、そうでもないようだ。

社会保険庁が、足腰が立たなくなり、心の底から改心するまで、徹底的に叩き、徹底的に改革して欲しい。

免除された納付者には、直接の影響は無いのだから、のんびり見ていればいい。
公務員の不正が、直接国民に影響しない、希有の事例なのだから、心おきなく、叩きまくってください。


June 01, 2006

整体が何故存在するか?

昨日、整体院がらみの事件について書いた。
そこで、無資格がらみの事を書いたので、正確を期すために、整体について書く。

整体とは、業種の名前ではない。
読んで時のごとく、体のバランスを整える手技を言う。

ただ、内容が、脊髄矯正がメインなので、カイロプラクティックと同じものと考えている人が多いが、全く同じではない。

で、「整体」と看板にうたっている治療所は、ほとんど、法律で定められた資格を持っていない治療師が治療を行っている。

あらかじめ書いておくが、これは、治療技術の高低を意味してはいない。
無資格でも、凄い技量の持ち主はいるだろう。
ただ、無資格であることを承知して、治療を受ける必要はある。

では、法的な資格を持っていないのに、無免許医のように、逮捕されないのは、なぜか?

それは、最高裁の判例があるからだ。
最高裁によって、「違法とは言えない」という判例があるのを根拠に、どんどん整体院が誕生している。

ここでは、このことについて、書いておきたい。

これは、HS式無熱高周波療法という、いわゆる電気治療器具を使って業務を行っていた者に対する判決である。
まず、手技とは何の関係もない電気治療に関する判例であること。
最高裁から、高裁に差し戻され、その結果、再鑑定の上、有罪になっていると言うこと。
これらを、まず踏まえておかないといけない。

要するに、有罪になっている上に、手技療法に関しては、何の判断も示していないのだ。
これが、国家資格を有していない整体師の開業要件に、何故なりうるのか、私には理解できない。

職業選択の自由と言うが、ならば、ブラックジャックも、適法なのか?

専門学校・大学に何年か通い、国家資格(以前は、県知事免許)を取得した上に、法律で様々な規制を受けながら開業している鍼マ師と、一定の月数研修を受けただけで、何の法的制限も受けずに開業している整体師が共存している現状は、明らかに異常だ。

厚生労働省も、この問題については、先刻承知で、今後の対策が練られている。
しかし、遅々として進んでいない。
当然、地域保健所も同様である。
それは、上記最高裁判例に関する誤解があるためのようだ。

ただ、最後に書いておくが、鍼マ師側にも問題がある。
それは、患者側のニーズである。
古式ゆかしい経絡治療を求める人もいれば、整体のような比較的新しい治療法を求める人もいる。
その患者側のニーズに、鍼マ師側が、答え切れていないのも、原因の一つであると言うことだ。

現に、整体の料金は、マッサージ料金と、それほどの違いはない。
なのに、整体院に通う患者が存在するという現状を正しく把握しておく必要がある。

エステもそうである。
美しさを得るために行っているのかと思えば、実は、「気持ち良いから」という理由が、かなりの割合に昇る。
このニーズも、受け止められていない。

あん摩マッサージ指圧師も、この辺のことを、自省して欲しいと思う。
当然、全ての施術所で、整体を行えと言うことではない。
しかし、業界として、この手技に関し、前向きに取り組む姿勢だって、合って良いと思う。

同じ整体のテクニックを持ち、大臣・県知事免許の施術所と、整体院がある。
料金も同じとする。

どちらに通うかは、言うまでもない。

法的な面で言えば、これは、検討すらする必要がない。
片方は、無資格なのだから、厚生労働省が、いつ本格的な摘発に乗り出すのかという、時間的な問題が残っているに過ぎない。

しかし、道義的な面では、どっちもどっちである。
無資格ながら、患者のニーズに対応してきた整体師。
有資格で、それらを見過ごしてきた鍼マ師。
内容は違うが、どっちもどっちだ。

経絡治療は効果がないと言っているのではない。
整体を求める患者もいるのだ、と言っているに過ぎない。

経年変化で変形した上に、拘縮している頸椎を、事故を起こさず、正常もしくはADL確保状態に戻しうる知識を持っているのは、医師・柔整師以外では、きちんと解剖学・病理学まで学んだあなた達しかいないのだ。
(理学療法士等は、医師の指導の元、医療機関で訓練を行うため、医師に含める。)

患者の希望は、「少しでも元気になること」なのである。
方法は、二の次なのだ。

両者の猛省を期待して、本稿を終わることにする。

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