Recent Trackbacks

June 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

お薦めリンク

ウェブページ

NEWS ZERO

  • NEWS ZERO

« June 2010 | Main | August 2010 »

July 28, 2010

国民のためのねじれ国会の解消

衆参でねじれた結果、与党民主党は、政策ごとの連立を模索しているが、次期選挙での埋没を野党が嫌い、うまくいく兆しは見えていない。
その結果もたらされるものは、官僚政治の増大と、国民の不利益の増大だろう。
それを避けるためには、どうしたらいいのか?

選挙結果を素直に判断すれば、国民は、民主や自民の一党独裁は望まず、多党が乱立している状態を望んでいるとしか思えない。
ねじれ国会を積極的に希望しているとは思えないので、一党独裁を嫌った結果の消極的な「ねじれ選択」と思える。
しかし、国政の停滞も望んでいないという、極めてわかりにくい選択をしたと言える。

要するに、国民もまた、迷っている最中なのだろう。

このような混乱のさなかにあって、国政の担当者である、国会議員が取るべき手段は、ひとつ。基本中の基本に立ち返ることである。

それは、日本最高の議論の場にする、と言うことである。
国民の意識の根底には、コテコテの政党政治への嫌気、があるように思える。
それが、無党派層を生み、投票率の低下を生じていると見る。

前回の衆院選では、自民党への反発から、消極的に民主党を選んだが、今回の参院選では、「積極的な民主支持ではない」と言うことが明らかになった。

このままでは、その場その場の空気で、ねじれ国会の発生・解消を繰り返し、どんな法案もまとまらない、という、最悪の展開になっていく。

これは、国会議員にとっても、国民にとっても悲劇だ。

これを乗り越えるには、
「日本・国民のためには、どうしたらいいか?」
という、基本中の基本に立ち返り、沈思黙考してみることだ。

コケが生えだしている一党独裁ではない。
膿が出て、腐敗している官僚独裁でもない。
何も決まらない多党乱立でもない。

いっそのこと、政党を解党してしまい、個々の議員が、自らの信念の元に、意見を述べ、議決をしたらどうか。これしか、残された道は無いように思えるのだが。

まあ、非現実的な提案に思える。
政党政治を、完全に否定しているようにも思える。

しかし、それしか、道はないと思う。

そのための移行期間として、「政策ごとの部分連立」も、やむを得ないのかも知れない。しかし、それは、あくまでも、過渡期の便法に過ぎない。

もっとも望ましいのは、政策・理念が一致した集団が提案した政策・法案を、個々の議員が、各々の信念に基づき、日本や国民のために有益なもののみを取り上げ、そうでないものを排除する。
そうやって、本当の意味での議論を行い、より良い法案を作り上げる。

書いていて、笑ってしまうほど、非現実的なやり方だが、仕方がない。

ねじれを繰り返すばかりでは、停滞しか生まれない。
ずっと続く停滞は、緩慢な死を意味するのだ。

July 27, 2010

後期高齢者保険制度は、存続を

誰も言わないから、書くことにした。
一体全体、何が悪いのか?

基本的に、高齢者に対する医療制度は、崩壊しかかっている。
それに対する対策のひとつが、これである。

最大の問題は、増加し続ける老人医療費。
これに対応するために、税金の負担分を増やし、その他の保険からも援助金をかき集めて対処した。

余分な金を払わされる事になった健康保険組合が、軒並み廃止に追い込まれたことは、記憶に新しいはずだ。
老人医療費は、これほどまでに、肥大化しているのだ。
その肥大化し続ける老人医療費を、従来の方式でまかなえるのか?

そもそも、まかなえないから、作った制度なのではないのか?

・高齢者を切り捨てる制度

はぁ?どこを曲解したらそうなるのだ?そもそも、老人達の医療費を確保するための制度なのだ。
これからもずっと維持するために、老人達にも負担をして貰おうという主旨は、理解できる。

・75歳で、老人を差別する制度

前期・後期高齢者という区分を作ったのは、厚労省ではなく、WHOである。文句を付けるなら、そっちへどうぞ。
厚労省は、その区分に乗っかっただけだ。

・とにかく許せん

根拠のない批判は、与党やマスコミに向けて下さい。
結果はともかくも、将来にわたって、老人医療を維持しようとした仕組みを、気分で批判しないように。

後期高齢者医療制度は、保険請求をする立場からすると、とても分かりやすい制度だ。かつての老人保健は、わかりにくく、付け足した制度故に、弊害も出ていた。
しかし、一本化されたことにより、支給申請書も簡単になり、共通用紙への道筋もついてきた。保険請求(レセプト。略してレセ)が、コンピュータ化しつつある今、この用紙の共通化は、色々な意味で恩恵が大きい。
この点「だけ」でいえば、百利あって一害もなし、なのである。

後期高齢者医療制度は、全く問題なし、とはいわない。大小様々あるだろう。
しかし、制度自体を撤廃する必要があるとは、到底思えない。

いったい、どこが、それほど悪いって言ってるの?
以前の老健制度と比較して、ちゃんと理解してから言ってる?

「これこれが、このように悪い。だから廃止すべき」という、根拠に基づいた見解ならば、マジで読みたい。
上記のような戯言ではなく、理路整然とした見解があったら、是非、URLを教えて頂きたい。
今のところは、探し出せないでいる。

July 23, 2010

除菌は有効か?

これは、無意味どころか有害であるし、有効である。
訳が分からないと思う。しかし、「訳が分からない」が、実態なのである。

除菌だの殺菌だのは、あちこちでよく使われている表現である。
しかし、その実態は、ほとんど知られていない。

一般的な表現で言えば、強い方から、

滅菌>殺菌>除菌>抗菌

となる。(厳密には正しくない表記である)

滅菌は、一般人が関与することはほとんど無い。手術で使う鉗子やメス、そして、注射器などが、滅菌されている。これは、「有害・無害を問わず、対象物に存在しているすべての微生物およびウイルスを死滅させるか除去すること」をいう。

表題の除菌は、「対象物から菌を除いて減らすこと」をいう。処置前から、菌が減れば、立派な除菌である。

抗菌は、「菌の増殖を阻止すること」であるから、現状より増やさなければ、立派な抗菌である。極端な話、食中毒になりうる数の菌が存在していて、そこから増やさなければ、「抗菌」といえる。

殺菌については、ややこしい。「菌などの微生物を死滅させる操作のこと」であるから、処置によって、菌などが死滅すれば、立派な殺菌である。
食中毒で言えば、少しでも菌を死滅させれば、殺菌済みといえるので、その時点で、食中毒を引き起こすに足る菌が残っていても、殺菌済みである。

こんな事では、おちおち手術しておれないので、滅菌を行うのだ。
普通、医療機関では、オートクレーブと呼ばれる装置を用いて、飽和水蒸気中で121℃2気圧15分以上(通常20分)加熱する。
処置が終了しても、中の気圧は高いままなので、圧力鍋のごとく、蒸気抜きをしてから扉を開ける。この時に、「ボンッ」と音がして、結構迫力がある。

なので、「ほとんど望んだ効果がない殺菌済み」も間違いではなく、期待はずれになることもある。
ただ、一般的に、「殺菌済み」とあれば、除菌よりも、強い処理法で行われた事が多く、多少は安心できる。

そうそう、こういった操作全般を、消毒という。
「対象物を使用しても害のない程度まで菌を減らす」ことである。

手術道具ならば、滅菌が必須だし、カーペットなどなら、除菌で十分だろう。
新生児の衣服ならば、除菌でいいし、スプーンなら、殺菌となる。
まあ、この場合、熱湯消毒程度でもやりすぎ位か。

このように、表記が混乱していて、間違えやすい。
一応、まとめたサイトを紹介しておく。

業界における定義

最後になるが、日常生活において、滅菌どころか、「殺菌」が必要になることは、ほとんど無い。
あるとしたら、新生児のミルク瓶の熱湯消毒くらいか。

普通に食べている食物中にも、菌は存在しているが、問題となるのは、その量である。
あまりにも気を遣いすぎると、菌に対する抵抗力が落ちてしまい、普通なら感染しないレベルの弱い菌にも感染してしまうことになる。
これを、日和見感染という。
通常は、抗生物質を飲んだ時に起きるくらいだが、「清潔生活」が続くと、こんな事態を引き起こしかねない。

何事も程度問題である。
頑張ったとしても、食中毒の季節である今だけにしておいた方が、楽しく暮らせるというものだ。

殺菌

July 22, 2010

熱中症多発

高齢者については、自業自得。
就業中については、会社のトップの時代錯誤。
これに尽きる。

「ひどいことを言う!」と思うだろうか。
だが、残念なことに、事実である。

私は、高齢者と頻繁に会う機会がある。
その中の一部は、ここ何年か、ほぼ毎週会っている。
で、この時期になると、必ず言うことがある。

・クーラー嫌い、と言っていないで、積極的に活用すべき気温である
・通常のちょこちょこ飲みは、水・お茶で良い
・農作業の後などは、お茶でも良いが、漬け物などを食べて、塩分補給する
・へばった時は、ポカリスエットを飲め。無ければ、アクエリアスなどのスポーツ飲料を飲め

そして、通常時は、三度の食後、十時、三時のお茶以外に、一日に、500mlのペットボトル一本飲み干せ、と。

本当は、1リットルと言いたいところだが、そんなことを言ったら、絶対に実行しないので、仕方なく、半分の500mlと言っている。
そして、それすら、実行されていない。
医師などが、寝る前に、コップ一杯の水を飲めと言っているが、
「そんなことしたら、トイレの回数が増える」
と、聞く耳を持たない。

そして、さらに残念なのが、聞く耳を持っているどころか、メモを取らんばかりに、興味津々に聞いてくれる老人達の多くは、毎年、同じように、興味津々で聞いてくれる。
「それは、去年も聞いた」
と、つまらなそうにしている老人には、今のところ、お目にかかっていない。
つまり、覚えていないのだ。

だから、いくら老人が物覚えが悪い、とは言っても、「自業自得」に分類せざるを得ないのだ。

毎年毎年、必死で訴えたあげくに、翌年になったら、すっかり忘れ去っていて、しかも、今年すら、ほぼ実行されない。
そんな徒労感を、何年も繰り返し味わってから、批判をして欲しいものだ。

就業中については、中年以降の管理職の責任が大きい。
「昔だって、夏は暑かった。でも、汗を拭きながら、頑張ってきたんだ。今時の若いもんは、…」
などと、ピントはずれの繰り言を言う始末だ。

確かに、今時の若い者の中には、それに該当する連中もいる。
しかし、熱中症に関しては、ピントはずれである。
昔と今では、環境が違うのだ。

見渡す限りの田に囲まれている家がある。
その家では、真夏の夜でも、閉めきって寝る。開けて寝ると、風邪を引くからだ。
このように、昔ながらの環境ならば、昔ながらの対処が有効である。
しかし、環境が変わってしまったのならば、対処も変えないといけない。

日本の今の夏は、35℃を超える日が、何日も続く。
昔は、こんな事は、無かった。あっても、ひと夏で、1~2日程度だったろう。
この程度ならば、なんとか、気合いで乗り切れる。
しかし、一週間以上も続いては、気合いも切れてくるのだ。

似たような気温の国々では、昼休みが長い。
午後は、四時頃からしか、仕事をしない国さえある。
そんな国を、日本人は、「怠け者の国」と馬鹿にしてきた。
しかし、環境が、そんな国と同じになりつつある今、そう言ってきた連中に聞いて見たいものだ。

外で仕事をする人たちの多くは、残業が無ければ、午前八時から午後五時まで働く。休憩は、十時と三時の三十分。そして、昼の一時間だ。
暑さの真っ盛りの午後一時に、午後の仕事を再開する。

これを、「いじめ」と呼ばないのは、日本人だけかも知れない。

現に、時間が自由になる農家の老人達は、朝早く出かけて、九時頃には戻ってくる。そして、午後は、早くても五時くらいから再開する。
「日中は、やっとれんわ」
と、コメントしている。

ところが、働き盛りの連中は、午後一時から再開する。
両者の間に、それほど決定的な体力・抵抗力の差があるのだろうか?

午後は、早くても、三時から再開すべきである。
道路での工事などで、午後五時におえる必要がある場合以外は、午後七時までやればいいのではないだろうか。
どうせ、残業で、それくらいまで働いている人は多いはずだから、問題は無いはずだ。

それをしないのは、「気合いだ」という時代錯誤の管理者の偏見だ。
もう、そんな環境では無くなってきているのに、気づいていないのは、ある種の罪と言える。
法律には明記されていないから、罰せられることはないが、人道的には、非難されるべきなのだ。

しかし、非難されるのは、おそらく、私の方だろう。

あえて言う。従業員に熱中症による死者が出てからでは、遅いんですよ。
そして、それを避けるためには、個々の管理職だけではなく、国を挙げてのコンセンサスが必要になってくるのである。

ねじれ国会かなんか知らないが、そんな時ではないのだ。
霞ヶ関のビルの中で、設定温度が上がったと、文句を言っている場合ではないのだ。

国民の多くが、危険にさらされながら、会社の言うままに、働かされているのですよ。
目下の急務、ですが、どうします?

July 20, 2010

日本人は個人主義の米国人よりも冷たい?

と言うより、米国人の寄付が多すぎ、ってとこか。

記事

アメリカの学校では、寄付が当たり前のように行われている。
しかも、その金額によって、子供が恩恵を受けるのだ。
集会などで表彰されるのはもちろん、金額の多い子供は、特定の日に、好きな格好を出来るとか、募金をしないか、少ない子とは区別されている。

このため、親たちは、必死になって寄付をしているのだ。

ビル・ゲイツだってそう。
MSがWindowsによって、ガリバー企業となった頃、MSは、米政府から猛攻撃を受けていた。
しかし、ビル・ゲイツが、当時の全財産を何年かに渡って寄付すると申し出た途端に下火になり、現在は、全く問題にされていない。

高額所得者である有名人や、稼ぎまくっている企業からしたら、一番有効な保身策なのだ。しかも、寄付した分は、税金の申告から免除できる。

普通に税金を納めたあげく、各種官庁・団体から猛攻撃されるか、寄付して控除を受けるか。どっちを選ぶかは、自明の理だ。

つまり、アメリカは、「寄付しないとやっていけない国」なのだ。

日本はそうではない。
多額の寄付をしたら、「へぇ」と、驚かれるだろうが、それだけのことだ。
何の恩恵もないし、得るものもほとんど無い。

日本での寄付は、本当の善意からくるもの、名声を得るための売名行為、のどっちかだろう。
そのどっちであるにせよ、寄付を受ける側からしたら、金に区別はないので、助かるのだが。

何はともあれ、寄付しないと、様々な不利益をこうむるアメリカと、利益も不利益もさしてない日本では、事情が異なるのだ。
一律に比較してはいけない。

ま、日本でも、所得控除(税率控除か、税額控除か知らない)はあるが、アメリカほどのうま味はないようだ。

要するに、日本が普通で、アメリカが際だって異常なのでは?

July 16, 2010

集中豪雨

梅雨末期にはありがちな豪雨で、よくある現象のようだ。

仕事場も、自宅も、「被災地」なので、お気軽に書けるのだ。
今朝処理したメールは、もれなく、お見舞いが書かれていたので、コピー&ペーストしようか?と言う誘惑に駆られていたところだ。

例年、6月は、しとしとと降り女性的、7月に入ると集中豪雨が起きやすく男性的と言われている。
そう言う意味では、「ありがち」なのかも知れない。

日本上に停滞する梅雨前線が、張り出してきた太平洋高気圧とせめぎ合い、動かないくせに、湿気を大量供給されて、集中豪雨となるらしい。

それにしても、半端な量では無かった。
雷が鳴っていたので、30分もすれば収まると思っていたら、延々と続き、水が溢れまくっていた。

JRが止まってしまったため、子供を迎えに行って、車が水没し掛けたりした以外は、直接の被害はなく、やれやれだった。

ただ、今朝は、あちこちの道路で、土砂が堆積していて、走るのにも一苦労。
自然の猛威を、多少なりとも実感した次第。

JRが復旧しなければ、夕方、またお迎えだぁ。

July 14, 2010

ねじれ国会の解消

いささか非現実的な案を書く。
おそらく、根本的な解決方法は、これしかないだろうが、実現の可能性は、極めて低い。
なので、お気軽に読んで欲しい。

二大政党制の元では、政権交代時には、必ずねじれるという。
これは、衆・参で選挙のやり方が違い、参議院では、全数改選ではないため、よほどの大差が付かない限り、ねじれ国会となってしまうということだ。

これを避ける一番根本的な方法は、参議院を無くしてしまうことだ。
そうすれば、民意がダイレクトに伝わる国会となる。
そして、これこそが、GHQの原案だった。日本の政治の現状を分析すると、一院制が適当と判断したのだ。
今となってみると、一理ある判断だったようだ。

反対したのは、日本側。
貴族院の存続を希望し、その結果、名前を変えて参議院となった。

これは、衆院の暴走を止めるという現実的な側面もあったのだ。
「大政翼賛会は、二度と御免だ」と言うことだったのだろう。

発足当時の参議院は、様々な人材が集まり、まさに、「良識の府」だった。
今のような衆院のおまけにしてしまったのは、自民党だ。
その後しばらくは、自民党が安定政権を築いていたので、問題にはならなかった。
しかし、二大政党制になってくると、政権交代の過程で必ず起きる「ねじれ」が、大きな問題となってきている。
これから起きるだろう混乱も、その結果のひとつ。
これを、何とかしないといけない。

参議院は、憲法で決められているので、無くすのは、憲法を改正しないといけない。
国民の多くが、拒否感を抱いている憲法改正は、その内容にかかわらず、現時点では、不可能だ。

残るは、参議院の改革しかない。

国会は、最高レベルの議論の場だ。
しかし、実際には、議論など、一切行われていない。
現在行われているのは、官僚の作った法案の追認、そして、自己主張の応酬だ。
これを、議論とは呼ばない。

言うべきは言い、引くべきは引く。そして、お互いの主張を理解し合い、より良い結論を導く。
これこそが、「議論」だ。

参議院の全ての党・会派を解散し、全ての参議院議員が、自らの考えを持って議論に参加し、全員で、結論に対する責を負う。
日本や国民に対し、もっとも妥当であるだろう結論を出し、法律とする。

参議院が、真に、議論の場となれば、各界の識者がこぞって参議院に集まり、選挙の度ごとに、レベルが上昇し、世界に誇れるすばらしい議論の場となるだろう。
そうなれば、評決要員も、票集めのためのタレント議員も出る幕はなく、潮が引くように減っていくはずだ。

「国民のためにどうあるべきか?」と、皆が真剣に考えた時、結論は、こうならざるを得ない。
選挙の度ごとに、ねじれ発生と解消を繰り返すようなら、憲法改正してでも、衆議院だけにした方が、すんなりと収まる。

衆議院だけだと、暴走の危険はあるが、ねじれてばっかりで、国政の停滞を招き続けるのならば、「まだまし」である。

July 12, 2010

民主惨敗がもたらすもの

まずは、政界の流動化だろうか。
かねてより、小沢一派が、民主党を割って出て、自民党の近い勢力を巻き込み、新党を立ち上げるという観測気球が上がっていた。

全く真実でもないだろうが、全くの眉唾でもないだろう。

福田-小沢で成立しかけた大連立は、現実問題、可能性が低い。
これよりは、小沢新党の方が、可能性が高いというものだ。

衆院選を仕掛けるという線もあるが、やって勝ったところで、参院とのねじれは解消しない。
ねじれを解消するには、複数を相手にした連立or新党しか、可能性は無いのだ。

政策・法案ごとの部分連合なんて言う案も現実味を帯びているが、おそらく、うまくいかないだろう。

政権奪取に向けて気勢を上げている自民党が、そんな自分の首を絞めるような動きに乗るはずもなく、さりとて、過半数を得られるだけの数の政党と連立を組んだら、にっちもさっちも行かなくなる。

今回の民主惨敗は、田舎の一人区でのどぶ板を徹底しなかった民主の方針の誤り、そして、政治と金の問題やドタバタで嫌気が差した無党派層が、こぞって、自民・みんなの党に動いた事が原因のようだ。

よって、「みんなの党躍進」とあるが、これは違う。
ただ単に、批判票が集まったに過ぎない。
前回の衆院選は、これが、民主党に集まっていたのだ。
その結果、従来の支持票と相まって、政権交代を成し遂げた。
これを、みんなの党への支持拡大などと勘違いしていたら、今の民主と同じく、痛い目に遭うことだろう。

つまり、今回は、民主に風は吹かなかった。これだけのことなのだろう。
要するに、今回の結果が、民主党の掛け値なしの実力ということだ。

消費税が争点、などと、マスコミはあおるが、実際の世論調査では、無党派層の選択理由の4位でしかなかった。
ほとんどは、政治と金や指導力のなさなどを嫌って、流出していったのだ。

望ましい方策は、どこかの識者も書いていたが、参院の会派を全て解散し、全ての法案を、是々非々で判断し、各自個別に投票することだろう。
これでこそ、「良識の府」といえる。
ただ、可能性は、極めて低い。
これが実現できたら、ねじれなどという現象を恐れることなく、衆院選を戦えるし、冒険的な公約も施策も可能になる。
しかし、実現する可能性は、日本がワールドカップで優勝する可能性と、どっこいどっこいだろう。

今の日本は、「っていうか、どーでもよくね?」という無関心層と、政治のなんたるかを理解せず、その場その場の気分で流される無党派層のかなりの部分に、その命運を握られていると言うことになる。

そのことの方が、財政赤字よりも、日本の将来への暗雲だろう。

こんな事なら、コテコテの自民党支持のじいちゃん・ばあちゃんの方が、よほど、日本の支えになっている。

いっそのこと、元旦に衆院選投票でもしたら?
槍が降っても、と言う人しか行かないから、風に影響されない結果が出ますよ。

参院選、民主惨敗、自民躍進…か?

そうでないことは、大方の人が分かっていると思う。
TVで、コメンテーターが、「民主党のオウンゴール」と言っていたが、まさに正鵠を得ていると思う。

圧倒的な差がついたのは、一人区においてである。
一人区は、その性格上、田舎に設定されている。
複数区は、人口がそこそこ以上の地域に設定されている。
そして、複数区では、良い勝負をしている。
さすがに、複数擁立、複数当選を果たした選挙区は少ないが、自・民分け合う形の選挙区がほとんどである。
また、比例区では、民主が一番当選している。

やはり、一人区が勝敗を分けたようだ。
これを、「自民勝利」とするのは、あまりにも浅い見方だろう。

私の選挙区は、複数区だ。
当然、民主党は、複数擁立していた。
そして、定数2で、自・民と、仲良く分け合った。

で、選挙中だが、民主現職は、選挙カーのがなり声すら、一度も聞かなかった。
民主新人は、一度、選挙カーが通った。
しかし、自民新人は、公示前から、演説会の誘いが、地元の議員経由であり、公示後も、同じ流れで勧誘された。
また、業界団体へも、何度も本人が顔を出し、何度と無く、候補者本人を見た。

この違いは何なのだ?
民主現職は労働団体頼りなので、まだ分かるが、民主新人が、一度も顔を出さないのは、何故なのか?

つまり、自民党は、今まで通りのどぶ板選挙を実行し、民主は、小綺麗な運動を優先したのではないか。

これでは、田舎のじいちゃん・ばあちゃんの支持は得られない。
まさに、「民主の自滅」だ。

私自身は、どぶ板なんぞ、全く評価しない。
業界団体の依頼で、自民新人の演説会にも、何度か参加したが、そのことを持って、投票の判断にはしなかった。
「主張オンリー」で、判断した。

しかし、一人区の、つまり、田舎の中高年は、そうではないのだ。
馴染み、つきあい、親切、必死な態度などが、最大の判断材料になる。

この点において、決定的な差がついたのだろう。

つまり、民主党においては、選挙というものを知り尽くしていたのは、小沢ただ一人だった、と言うことなる。

末端までどぶ板の重要さが浸透している自民党。
綺麗でおしゃれな主張をしたがる理論先行の民主党。

この違いが、一人区において顕在したに違いない。

民主党が、実際に、どのような運動を繰り広げたのかは、関係ない。
一般市民である私が、そう思える。それが全てだ。
ましてや、一人区においては、さらにコントラスト鮮やかに区別されたことだろう。

まさに、「民主党のオウンゴール」だ。

この結果がもたらすもの、については、項を改めて書く。

July 10, 2010

OP25B

Outbound Port 25 Blocking(アウトバウンドポート25ブロッキング)の略である。
要するに、ウィルスに感染して、ウィルスメールをばらまいたりするのを水際で防ぐ仕組みである。
wiki

インターネット接続に使っているISPのメールアドレス、サーバーを普通に使っている場合は、ユーザーの設定変更はない。
しかし、Yahooなどの無料アカウントを使っている場合は、問題になってくる。
そのサーバーが、587番ポートのアクセスに対応していない場合は、使えないと言うことになる。

通常は、

MUA→MTA→....→MTA→MBOX

と言う手順をたどるが、

MUA→MTA→....→MSA→MTA→MBOX

となる。
つまり、受け取り直前に、MSA(Message Submission Agent)が加わり、メールの正当性をチェックし、妥当ならば、本来の流れに乗せると言う仕組みになる。

通常のメールは、封書(エンベロープ)として届けられる。
ユーザーは、葉書の表に宛名を書き、裏に内容を書いて投函(送信)する。
MUAは、宛先を解析し、封筒に宛先や差出人を書いてから、葉書を封筒に入れ、MTAに渡す。
後のMTAは、その封筒の宛先だけを見て、順次転送を繰り返す。
中の葉書に関しては、Receivedヘッダを追加することだけが許可されている。
つまり、自分が受け取った旨だけ記入出来るのだ。
封筒の差出人と、葉書の差出人が違っていても、一切関知しない。

で、MSAは、このMTAの原則を逸脱し、葉書の内容にまで変更をすることが許されている。
その結果、正常でないメールをはじけるのだ。

来る9月、接続に使っているISPが、これに対応するらしい。
そう言うメールが来た。

慌てて詳細を確認し、メインとして使っているniftyのアカウントの設定を調べた。
ところが、とっくの昔に対応済みだった。
サポートメールを検索したら、2006年の2月から、提供されている。
…なんじゃ、そりゃ。
あれのことかいな。……っていうか、ISP遅すぎ。

まあ、未対応メールサーバー用に、認証サーバー立てただけでも良しとしよう。
無料メールアカウントも使っており、全てが、これに対応しているとは限らないので、助かるからだ。

メインはそのまま使えるので、あとは、ゆっくりやろうっと。

(注)

MUA
メール・ユーザー・エージェント。つまり、OEなどのメールソフトのこと。

MTA
メール・トランスファー・エージェント。メールサーバーのこと。

MBOX
メールボックス。だって、こう表記するんだから仕方ない。ま、小文字だが。

一般ユーザーは、この程度の認識で良い。
この程度でも、ネット上の技術文書は理解できるし、多少は、自慢できるよ。

July 03, 2010

消費税増税の裏に

消費税を10%にするのが、既定路線になりつつある。
自民・民主が言っているのは、「検討を始める」であるが、10%は、大蔵省の頃からの悲願なので、まあ、決まりだろう。
その功罪について書く。

1.ありがちな「功」

福祉関係の予算が、確保できるという点だろう。
目先は、国債によって確保できるが、長期的には、無理が出る。
やはり、安定財源を確保すべきだ。
福祉に不安が無くなれば、高齢層の消費も多少上向くだろう。

2.ありがちな「罪」

最初に言われているのが、景気への悪影響だろう。3→5%の時は、景気回復の兆しが見えていたのに、再び、真っ逆さまに落ち込んでしまった。
今回も、そうなる可能性が高い。

3.見えない「功」

これは、見あたらないなぁ。
景気を冷え込ませること分かり切っているし、所得税・法人税に比べて安定しているというのは、国側の都合なので、納税者には、関係ないのだ。

4.見えない「罪」

財務省の財布の中身が、増えると言うことだ。
構造改革からの流れで減り続けた財務官僚のお小遣いを、もう一度増やそうとしているのだ。
懐に入れようにも、ばらまこうにも、元手がなければ、やりようがない。

上で、「10%は悲願」と書いたが、このことを持ってしても、消費税増税にかかる諸問題など、一切考慮していないと知れる。
なぜなら、一番問題になるのは、景気を冷え込ませることなのに、ずっと前から、希望し続けていると言うことは、景気のことなど、一切気にしていないと、自ら告白しているようなものだ。

5.底流にあるもの

財務省のお財布については、既に述べた。
連中の念頭にあるのは、これだけであって、他のことは、こじつけ以外の何者でもない。

国債発行残高が、900兆円に迫っているようだが、あちこちに分散している金融資産については、一切公言していない。
900万円の借金がある人が、600万円の預金を持っていたら、普通は、差し引き300万円の借金と考えるはずだ。
しかし、そんなことは、奥さんのへそくりよろしく、口をつぐんだまま。
そんな自分勝手な連中の提案など、一点の義もない。

ただ、忘れてならないのが、言い出した真意はともかく、策として有効かどうかは、別問題であると言うことだ。
動機が不純でも、結果が良ければ、問題ないのだ。

そもそも、「円建てで発行していて、そのほとんどを国内で引き受けている日本の国債が、デフォルトになるのか?」と言う問題はある。
この点は、だまされないようにする必要がある。

過去、デフォルト(債務不履行)になった国は、外貨建てで、海外の機関投資家などが購入していた国債などで起きたものなのだ。
日本のようなケースは、過去に例がないし、当然、デフォルトになった例もない。
ちなみに、アメリカの場合は、海外の機関投資家が買っているが、ドル建てであり、基軸通貨なので、デフォルトになる可能性は低い。

分かりやすく言えば、年収の10倍の借金があったとする。
サラリーマンでは、結構な借入額だ。生活もかなり切りつめないといけなくなるはずだ。
しかし、借りたのが、昭和40年だったとしたら?
平均的なサラリーマンの給料が2万円程度だった時代だ。
よって、年収は、多くても、30万円程度だったろう。
そこから、借入額を計算すると300万円となる。
この借金を、平成22年の今、返済することになったら、債務不履行になるのか?
しかも、国は、サラリーマンのように定年など無いのだ。

国が、国内で作った借金を、一般人の借金と比べてはいけないのだ。
つまり、旦那が、資産家の娘である奥さんから、2000万円借金していて、それが、一家離散の危機になりうるのか?と言うことだ。
この場合で例えれば、離婚などあり得ないのだから、家庭内はともかく、よその家からしたら、それは、借金ではない。
よって、夜逃げ(デフォルト)の心配もないのだ。

構造改革、プライマリーバランスなど、正常であるに越したことはない。
正常化の努力は、続けるべきだ。

しかし、景気を冷え込ませてまで、実行する意義があるのか?
ここから、まず、議論を始めないといけない。
「超党派」だそうから、しっかりやって貰いたいものだ。

July 01, 2010

参院選、各党の主張

本当は、終わるまで、何も書かないでおこうと思ったのだが、マスコミの論調が、あまりにも、場当たり的で、批判オンリーだったので、仕方なく書くことにした。

【自民党系】
まず、現在の財政赤字、官僚政治の放置による天下り天国・無駄の放置は、すべて、自民党の怠慢さ故に起きたことだ。
故に、現在の日本の諸問題のほとんどは、自民党に責任があり、それを、盲目的に支持してきた国民の多くも同罪だ。
しかし、戦後の焼け野原から、現在のように、先進国の一翼を担えるだけの国にしたのは、官僚や自民党の功績も大きい。
ただ、責任の多くを、その身中に含みながら、「責任政党」は、ギャグ以外の何者でもない。
「あんたが言うなや」というツッコミを待っているボケ発言としか思えない。
自民党は、「責任」を公言するのなら、将来に対する責任を言う前に、過去の責任を詫びるべきだ。

【民主系】
ここは、「意気や、良し」だろう。
それぞれの公約は、耳障りの良い内容ばかりが並んでいることもあり、一概に非難出来ないものが多い。
しかし、自民系が言うように、財源など、非現実的なものが多いのも事実。
要するに、「稚拙」なのだろう。
官僚に任せていれば、こんな事にはならないはずなので、政治主導故の副作用なのかも知れない。
なので、「意気や、良し」なのだ。
ここに求めるのは、批判を恐れず、正しいと思えることを断行する勇気だろう。
この点で、全く落第点を付けざるを得ない。
まあ、支持率が頼りなので、どうしても、そうなってしまうのかも知れない。
政権奪取後、1年未満なので、責任を問うのは、早すぎる気もする。
なので、将来への期待値を評価し、投票するしかない。
ま、事業仕分けを何度も行い、多少なりとも成果を上げれば、その後、下野しても、「元が取れた」と言えるかも知れない。
官僚におんぶにだっこで、おむつまで替えて貰っていた自民党では、到底不可能な事だったのだから。

【その他】
キーボードを打つ手間すら、惜しまれる。ノーコメント。
ちなみに、みんな、立ち枯れ、改革などは、自民系に含まれる。

【マスコミ】

特定の政党への支持と取られないように、深い問題点まで突っ込まないのは理解できるが、それにしても、表層的すぎる。
自民党の過去の責任を問わないのもそう。
民主党の消費税増税発言でも、逆進性への言及をしないのもそう。
与党としての自民党・民主党のやってきたことを、公平に分析し、解説するのも、マスコミの存在意義では?

批判オンリーで、非現実的な各候補の論調に、釘を刺さないのは何故?
ちょっと考えれば出来そうもないことがわかる、民主の人気取り公約に釘を刺さないのは何故?
自民党への批判を、全くしないのは何故?昔通りの記者クラブを温存し、機密費が欲しいから?

« June 2010 | Main | August 2010 »