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NEWS ZERO

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April 14, 2015

不在者投票の拡充を

もうじき、市会議員の選挙が始まる。
そのこと自体はいい。問題は、投票したいのにいけない人たちがいっぱいいると言うことである。

簡単に言うと、デイサービスに施設の車の迎えで通っている高齢者世帯の老人たちである。

要介護度5以上とか、大きな病院に入院している人たちは、病院内に投票所が設けられたり、郵送での投票が認められている。

しかし、そこまでひどくないが、自分たちでは投票に行けない老人たちがいっぱいいると言うことは、意外に知られていない。

そういう老人達が、選挙に関心が無いのならまだいい。問題は、そういう老人達の多くが、投票したがっているということである。

投票したいのに出来ない、というのは、かなりつらいことのようだ。
我が身の不自由さを嘆き、つらい一日を過ごすことになるらしい。

子供と同居だったり、子供達が近所に住んでいる場合は、その助けを借りて何とか投票できているようだが、そうで無い場合は、投票できないようだ。

簡単に言えば、デイサービスに通っている人で、高齢者世帯の老人達のほとんどが該当するはず。これは、かなりの数になる。

行きたいのにいけない、と言う人たちに、援助の手をさしのべる方法は無いものか。

連れて行く方法はある、デイサービスに使う特別仕様車は、日曜なので使われずに空いている。運転手も休みで暇しているはず。
問題は、それらの設備・人を使うわけにはいかないと言うことだ。

これらの高齢者は、ほとんどが保守支持者のはずだ。
制度を整えても、自民党の不利になることはまずあり得ない。

ここは一つ、票稼ぎに、高齢者支援に乗り出してはどうか。

福祉タクシーを使って、利用料を払ってまで投票に行く人は、かなり少数になると思う。何とかならないものか。

Apple Watchは、世界を変えるか?

少なくとも、私の廻りの「世界」は、何も変わらないだろう。

確かに、すばらしいデザインで、格好良さそうだ。確実に、周囲の視線と注目を集め、人だかりが出来るはず。それくらいのインパクトはある。

しかし、常日頃は、袖口に隠れてしまい、人目に触れないのだから、やはり、革新的な機能が、私の選定の全てになる。

そういう意味で、「私の世界を変える」とはならない、と言っているのだ。

いちおう、公式サイトは覗いてみたが、気になった機能は、「iPhoneの子機」としての機能しかなかった。
それくらいなら、Bluetoothなバイブでも事足りるし、似たような機種は、既に存在している。高い金を払ってまで手に入れる機能では無い。

やはり、最も気に入ったのは、卓越したデザインだ。これは、掛け値無しにすばらしい。金銭的な余裕があったら、見せびらかすためだけに手に入れたいくらいだ。

そういう意味では、iPhone登場時のインパクトに近いものがある。

「どんな生活の変化をもたらしてくれるのか?」
と言う問いの答えが用意されるまで、静かに待つことにしよう。

April 04, 2015

会社は誰のものか?

経営者のもの
株主・出資者のもの
役員のもの
社員のもの

いろいろな意見があるが、私は、別の立場である。
それは、「法人」という言葉に、全てが集約されている。

法人とは、法律上、特定の集団に擬人格を与え、「人」と見なして扱う法律上の用語である。
この立場からなら、表題の答えが、容易に導き出せる。
まず、上記の質問に対し、人間に当てはめてみよう。
書いた順に当てはめる。

意思そのものが人間である。
いや、それに違いない。意思や意志が無ければ、ただの「生き物」に過ぎないのだから、それはそうだが、「意思だけが人間である」というのは違うだろう。

脳こそが人間である。
中枢神経系こそが人間である。
何兆もの細胞こそが人間である。

どれも、大事な要素ではあるが、イコール人間ではない。
どれも欠かせないが、どれかに限定すると、とたんに正解では無くなる。

法人だってそう。
どれかに限定すれば、とたんに、法人というものを言い表さなくなる。

おそらく、その全ての要素を含んだものが、「ひと」なのだろう。

きっと、「人とは何か?」が一言で言い表せないのと同様に、「法人とは何か?」も、一言では言い表せないのだろう。

ここでは、簡単に、「それら全てを含んだ総体」と逃げておこう。

だから、会社を私物化するのは間違いだし、全くの公器としてだけ認識するのも間違いだと思う。

もし人が、「生きてるだけで丸儲け」なのだとしたら、会社もまた、「続くだけで丸儲け」なのだろう。

人を殺した者が死刑に処されるように、社会に害をなす会社が、相当の処罰を受けるのも当然と言うことになる。

だから、「ブラック企業」の類いは、幼児虐待と同レベルで捉えればいい。
それが「紛れもない事実」であるならば、懲役、つまり、業務停止が妥当と言うことになる。

April 01, 2015

キラキラネームのその後

最近、当て字のような訳の分からない読み方をする名前を付ける親が増えている。バラエティのクイズにされるような、到底読めないような読み方をする例が多く、混乱しているようだ。

一番困っているのは、幼稚園・保育園と病院の様だ。なにせ、幼いものだから、ありがちな読み方で呼んでも、当の本人は、知らん顔をしているらしい。
施設や病院側では、どう呼んでいいか分からず、困っているようだ。

調べてみると、二つのパターンに分かれる。
一つは、ぱっと見、普通の漢字の組み合わせだが、とんでもない読み方をするパターンと、もう一つは、漢字自体がどんでもないものを使っているパターンだ。

このうちの後者は、成人してから、本人が裁判所に願い出て、戸籍を変更するしか無いだろうが、前者なら、場合によっては、すんなり解決できるかもしれない。それは、読み方を勝手に変えてしまえばいいからだ。

1994年11月より、戸籍には、フリガナを付けないようになったので、戸籍を変えなくても勝手に変更できるようになったからだ。住民基本台帳には、検索のためかフリガナが入力されているらしいが、これは、あくまでも便宜上入力されているだけのことで、拘束力は無い。問題になるのは、選挙の投票所で本人確認する際くらいのものなのだから、「勝手に変えても問題ない」と言ってもいいくらいだ。

それを気にする場合でも、住民票を移した際なら、台帳の記載もそれになるので、全く問題なく変更できる。
裁判所が絡んでくるのは、あくまでも、漢字の方を変更する際に、なのだ。

だから、前者の場合は、当たり前の読み方が存在すれば、そちらに変えてしまえば、全くの一般人に混ざり込めるのだ。

例えば、心愛は、「ここあ」と読ませる場合が多いようだが、「ここね」や「しんあい」ならば、それほど違和感なく読めることだろう。
受け狙いなのか、「新一」と書いて、「こなん」と読ませる場合があるようだが、これは、素直に「しんいち」でいいだろう。

本人も気に入っていて、成人後もそのままキラキラネームを使い続けたい、と希望する場合は別だが、名付ける親は、「こんなの変えたい」と言う要望が起きることを想定して、当たり前の読み方が出来る漢字の組み合わせで付けておき、読み方の方で楽しむのが、無難のようだ。

ちなみに、二児の親である私は、キラキラネームは、大反対である。他人が「良かれ」と思って我が子に付ける名前を、他人の私がとやかく言う権利は無い、位の常識は持ち合わせている。
ただ、我が子がそういう名前を付けようとしたら、老骨にむち打って、ぶん殴ってでも止めさせる。
だって、自分の子といえども、親のおもちゃじゃ無いんだから。

愛歩(らぶほ)って、許容範囲内ですか? 子供を持つみなさん。

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