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June 08, 2015

「もはや戦後ではない」は誤解だった

有名な1956年(昭和31年)7月に発表された経済白書(副題:日本経済の成長と近代化)の結語である。
この言葉が、当時の日本人に与えた影響の大きさは、当時生まれていなかった私にも、容易に想像がつく。おそらく、多くの日本人は、この言葉に限りない未来への希望を抱いたに違いない。

だが、誤解が二つ。

一つ目は、この経済白書がオリジナルでは無いということだ。
オリジナルは、中野好夫が『文藝春秋』1956年2月号に発表した「もはや『戦後』ではない」である、だそうだ。(wiki

もう一つは、これは、ついこの間まで日本中を覆っていた重苦しい戦後という空気を追い払い、日本人に限りない未来への希望を抱かせる光の言葉などでは無かったということだ。それは、「警句」だった。(中日新聞朝刊平成27年6月2日6面)
白書作成の指揮を執った経済企画庁の調査課長であったエコノミストの後藤誉之助が中心となって書いたものらしいが、その意図は、現在広く広まっている印象とは正反対で、

「今までは戦後復興ということで、成長の伸び代が多大にあったが、戦前の生産水準にまで回帰してしまった以上、この先、この成長をどうやって続けたらよいものだろうか」(前出wiki)

と言う意図だったらしい。
後藤の考えは、「技術革新がなければ、成長は失速する」というものだったらしい。(前出中日)

それを、敗戦気分が抜けきらない当時の日本人に、拍手喝采で迎え入れられ、多くの日本人達を勇気づけた。

180°違う大誤解だったのだが、時代は、後藤の憂慮をくみ取ったかのように進んでいく。日本企業は、勤勉で優秀な労働者にも支えられ、技術大国への道を一目散に走り出していった。

まあ、狭い国土で、工業資源にも乏しい日本企業にとって、後藤の指摘がなくても、技術革新を図る以外に、日本が生き残る道は無かったのだから、その道をたどったのは、歴史の必然だったろう。

後藤の警句は、そんな日本人達に誤解され、限りない勇気と希望を与えた。そして、「高度経済成長は、この言葉とともに始まった」と後世言われるほど、歴史的な大誤解となった。

それにしても、「好景気は、みんながこれから良くなると思えば良くなる」という言葉を裏付けるような事件だったと思う。

この言葉によって、多くの日本人達は、敗戦気分から抜け出すことが出来、新しい未来へと歩み出すことが出来た。そして、世界史に残るほどの高度経済成長を成し遂げ、先進国の一員となれるまでに、日本経済を立て直した。

きっと、大誤解をされてしまったあげく、早世した後藤氏(享年43)も、その後の日本の驚異的な高度経済成長を、草葉の陰から眺めて、喜んでいたことだろう。少なくとも、氏の長男である秀人氏は、そう考えている。

(一部敬称略)

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